ヒップホップやラップでよく聞く「韻を踏む」ってなに?
”韻を踏む”とは?
大雑把に説明すると、「言葉の母音を揃えることにより言葉のみでリズムを作る。」というところでしょうか。そして、この方法を活かして、小節の最後で韻を踏みリズミカルに言葉を操るのがラップという歌唱法の特徴である。とでも言っておきましょうか。
説明よりも体感せよ!
ということで、実際にLIBROの『対話』の歌詞を引用して解説していきます。同じ母音で揃えているところを同じ色で示していきます。
目を閉じて見るものがしっかり
解った時ははしゃいで走ったり
季節を感じて心のまま
チビッ子を受け止めるパパとママ
みたいに与え過ぎず程よく
分別弁えてる包容力
ちゃんと備えたお前は
ガシャンと割れてた心とらえた
耳ふさぎ聞こえてくる旋律
ここは二人だけの天竺
毎日が七色のえらい催し
たまには明るすぎる部屋も良し
不安なんてない昼の繁華街
たえず付きまとうのは半笑い
次の段階にむけかんだかい声で
二人が引くアンダーライン
どうですか?
何となく分かってきましたか?
①基本形
季節を感じて心のまま
チビッ子を受け止めるパパとママ
赤字の部分だけを引っ張ると、
「のままととママ」となり、
ローマ字表記で比べてみると「NO.MA.MAとTO.MA.MA」
どちらの言葉も母音が「O.A.A」で揃ってますね!
このように小節の最後を揃えるのが「韻を踏む」です。
何となく分かってきましたか?
では、次から少し応用編!
②応用編
⑴「ー(伸ばす音)」の使い方
みたいに与え過ぎず程よく
分別弁えてる包容力
ここでは、「程よくと包容力」の場合、
ローマ字表記で見てしまうと、
「HO.DO.YO.KUとHO.U.YO.U.RYO.KU」
「O.O.O.UとO.U.O.U.O.U」...あれ?踏んでない?
これって韻を踏んでないじゃん!
なんだよこれ!違うじゃん!
いやいや、ここからが日本語の妙ですよ。
Libroのラップをよーく聴いてみてください。
「ほーどーよくとほーよーりょく」って言ってる!
そうなんです!
敢えて言葉を伸ばして4字から6字にしたり、「包容力」も「ほうよう」とハッキリするよりも「ほーよー」というように伸ばすことで、韻を踏んでいるんです。
またまたローマ字表記で見比べましょうか
「ほーどーよくとほーよーりょく」
「HO.O.DO.O.YO.KUとHO.O(U).YO.O(U).RYO.KU」
「O.O.O.O.O.UとO.O(U).O.O(U).O.U」
はい、もう完璧に踏んでいますね!6文字踏み!
えー、こんなんありかよー...、と思った方、ありなんですよ(笑)
さて、お次はこちら。
次の段階にむけかんだかい声で
二人が引くアンダーライン
「かんだかいとアンダーライン」またまた踏んでない...
「KA.N.DA.KA.IとA.N.DA.A.RA.I.N」
ああ、「A.N.A.A.IとA.N.A.A.A.I.N」
惜しい、惜しすぎる。
...だったら、発音を変えればいいんじゃん!
ということで、聴いてみてください。
「かんだかーいとアンダーライン」
「KA.N.DA.KA.A.IとA.N.DA.A.RA.I.N」
「A.N.A.A.A.IとA.N.A.A.A.I.N」
きちんと踏んでいる!
しかも「アンダーライン」の「ン」は敢えて弱く発音することで、きちんと韻を踏んでいるように聞こえる。これも巧みな技だ!Libroさすがっす。
⑵「っ」や「ん」の使い方
目を閉じて見るものがしっかり
解った時ははしゃいで走ったり
「GA.SHI.っ.KA.RIとHA.SHI.っTA.RI」となり、
「A.I.っA.I」で揃えてるのが分かりますね。
「っ」は扱いが難しく、あとで説明する「ん」と同じように、言葉の流れをそこで切ることができるので、同じと見なして韻を踏む人もいます。
例えば、「頑張ったと観覧車」で見比べてみますか。
「GA.N.BA.っ.TAとKA.N.RA.N.SHA」
「A.N.A.っ.AとA.N.A.N.A」「っ」と「N」で揃っていないように見えますが、発音してみると、どちらも切る音なので韻を踏んでいるように錯覚するのです。これも手法として十分ありです。だって、聴いてみればみるほど韻を踏んでいるんだもん。
そして、最後が「ん」で終わる場合は、
「かんだかーいとアンダーライ(ン)」というように
「KA.N.DA.KA.A.IとA.N.DA.A.RA.I.N」となり、
「A.N.A.A.A.IとA.N.A.A.A.I.(N)」になります。
何が言いたいかっていうと、最後の「ん」は発音しなくても大丈夫!っていうことです。これにより、韻を踏むレパートリーが一段と増えます。てか、ここまでの説明でなかなか疲れてしまった。
何となく分かってきましたか?
ここから先は実際に自分で考えてみてください。
体感したら実践せよ!
実際にみんなで作ってみてください。
これ難しいですよ。
季節を感じて心のまま
チビッ子を受け止めるパパとママ
ここだって、普通の文章なら「心のまま季節を感じて、チビっ子を受け止めるパパとママ」となるところを、「心のまま」を倒置することで韻を踏んでいるのですから。
さて、では皆さんも実際に作ってみましょうか。
「はてなブログに投稿するのも苦労する」今の気持ちです(笑)
この普通の文章を少し膨らませて韻踏んでみましょうかね。
最近の習慣のはてなブログ
でも、投稿するのも一苦労
「ブログと投稿と一苦労」で韻を踏んでみました。
「BU.RO.GUとTO.U.KO.UとHI.TO.KU.RO.U」
こんな感じですね。
意外と簡単と思う人もいるかな?
皆さんも今度からは韻を踏んでいるかいないかで音楽を聴いてみると面白いですよ!
光と影 照らされなかった者たち
ライトを浴びなかった者たち
よく、「なんでそんなに物事に対してキッパリと諦めることができるの?」って聞かれる。その問いに返す言葉はいつも「いつまでも過去を振り返って過去に縛られているのは時間の無駄だから。そんなことに時間を割くよりも今や未来を見つめて行動するほうが楽しいから。」だ。
しかし、口では簡単に言うことができるが実際にこの考え方を今すぐにやってみろ、というのはあまりにも厳しい。では、どうして僕自身がこの考え方に行き着いたのかをRYUZOの「HATE MY LIFE」を絡めながら、そのキッカケを振り返っていきたい。
RYUZOとは、京都出身のラッパーで古都京都からも発信できる土台を作った第一人者であり、TOKONA-XやOZROSAURUSとYOUNG GUNZを結成したり、R-RATED RECORDSを立ち上げたり、京都エリアのみならず全国区で活躍しているラッパーである。
そんなRYUZOの書いたHATE MY LIFEでは、verse1、verse2、verse3でそれぞれ三者三様の”リアルな若者像”を描いている。しかし、ここで言う”リアルな若者像”とは、”マジョリティや平均的な若者”のことではなく”マイノリティであるが一定層は必ずいる”という意味で扱っていく。
Verse1では、高卒で土木系の仕事に就いた若い男を描いており、自分の道の選択の後悔が垣間見える。
朝の6時目覚ましに起こされ
眠たい目で作業着に着替え
缶コーヒー片手トラックに揺られ
朝帰りのギャルを眺める
泥だらけで昼の休憩
お洒落なランチはこれじゃきたねぇ
コンビニの飯とタバコでOK
待ち受け画面は愛しのBaby
クソな仕事で安い日当
家賃携帯電気にネット
合切払いペラペラの給料
服やデートの金はねーよ
大学出てりゃ違ってたかな
横にいる女も変わってたかな
ワンルームで缶ビール
お前の気持ちを俺がRhyme
僕自身の周りにもこのような人が多い。大学を目指すような高校には行けず、下から数えて何番目かの高校に進学し、進路はもちろん就職。このような時代なので、土木系ではなく介護福祉系の仕事に就くものが多く、高卒で働き始めて高校時代から付き合ってた彼女とでき婚して、子供と奥さんのために毎日キツい介護や福祉施設で働いている。このような人がいる。彼らは奥さんや子供と幸せだが、やはりふとした瞬間に「もしも...」というように後悔をしてしまうらしい。それでも彼らは前を向き今日も家族のためにお金を稼いでいる。それしか選択肢が無いからだ。そんな彼らの姿を見てきた。
Verse2では、夜の仕事をしているシングルマザーを描いている。
お酒くさいママでごめんね
化粧落とし送る保育園
シングルマザーももう3年目
いいともまでは少しおねんね
起きて買い物洗濯掃除
夕食だけは作る手料理
少し遅れてお迎えに
泣きべそかいてるあたしのBaby
夜ごはんだけが家族の団欒
洗い物したら化粧の時間
あとはよろしく若いおばあちゃん
あのこが言うの ママきれいじゃん
今夜も消えるネオン街
さみしくないけどたまには誰かに甘えたい
ならハニー番号は変わってない
僕の同級生のシングルマザーも似たようなものだ。でき婚から数年も経たないうちに互いの価値観の違いから離婚という道を選び、子供も結局は一人で面倒を見ることになった。子供を保育園に送った後に自分はカラオケのバイトに行く。保育園のお迎えには間に合わないので自分の母親に任せる。若くしておばあちゃんになった母親は、とても協力的で意外と子供も文句を言わずに生活が回っている。シングルマザーというものは、やはり未だに世間からの風当たりも強く、ツラいことも沢山あったということだ。まさに、”誰かに甘えたい”という部分は心からの叫びに近いものなのではないだろうか。一人で頑張っているけれど、母親も協力してくれるけれど、それでもやっぱり甘えたい。そんな思いを今日も胸にバイトに行く。そんな同級生と歌詞が重なる。
ここまでは、前座だ。
たしかに彼らからも多くのことを学んだ。しかし、もっとも残酷なものが最後のverse3だ。このverse3こそが今回の言いたいことのほとんどを占めている。
Verse3では、夢追って上京したものの現実に破られた若者を描いている。
憧れ続けた華の東京
さよなら告げ泣いてた彼女
書き置き残し親には内緒
連れに大口叩いて上京
夢はDJで有名に
モデルを連れて里帰り
現実は深夜コンビニのレジ
どこにいんだよモデルのBaby
最初は毎晩通ったクラブ
雨でも外でフライヤー配る
音楽よりも人を呼ぶ数や
コネが勝る世界にクラう
ほこり被ったターンテーブル
返信がこない彼女へのメール
田舎の家族思い出し眠る
スピーカーからは俺が流れる
僕も数多くのラッパーを見てきたが、ステージに上がり集客できるラッパーなんて10%もいないと思う。ほとんどの奴らが、自分の実力や才能や複雑で薄汚い世界を直視させられ夢を諦めなければいけなくなる。そこに情けはない。なぜなら、才能で金を稼ぐ仕事であり努力が必ずしも報われる世界ではないから。頑張っていても集客できず金を稼げなければ認められない。そして、夢に破れた者達の行き着く先は2パターンある。それが①いつまでも過去の思い出に縋り現実を認めない者②新しく自分の行く道を見つめ行動する者、の2パターンだ。
①のパターンの人間は本当に最悪だ。生産性が無い上に年齢だけが積み重なっていき、自分の人生の選択肢を自分の手で断ち切ってしまう。過去の栄光に縋り続け、今や未来を見なかった代償はとても大きい。
②のパターンの人間は救いようがある。なぜなら、また違う道に向かって突き進むことができるからだ。夢に破れたという事実も選択肢を潰すことができて良かったといい、肯定的に捉えることにより次への原動力としている。
輝く敗者など存在しない。本当の敗者は、輝くステージにすら上がることができずに終わるからだ。現実は残酷だ。すべてを捨て、夢を追う。夢を追うことの素晴らしさを説き、夢を追う者を応援する人たちは数多くいる。しかし、夢に破れた場合のリスクをきちんと併せて伝えている人はそのうちの何割だろうか?決して大多数ではないはずだ。
夢のために人生をどこまで捨てることができるか?
覚悟がない者に夢を追う資格はない。
これだけはハッキリと自信を持って言える。
極端だが、「その夢に命を懸ける覚悟はあるのか?」という問いに対して「ある」と答えられるかどうかが大切なことだ。僕自身も中学時代にはこの問いにハッキリと「ある」と答えられた。しかし、数年経ったある日、その答えが「ない...」になってしまった。それは、やはり覚悟が足りなかったからだ。これ以上続けて人生を棒に振った時のリスクを考えた時に、そこまでのリスクを取ってまで夢を追い続ける自信が無かった。つまり、僕自身も敗北者だ。
しかし、僕は②の敗北者だ。自分の人生の敗北者にはなっていないと信じている。だからこそ、自分の人生が楽しくて仕方がない。その時々の環境で最高のパフォーマンスを心がけている。後悔をする暇がないくらいに人生を楽しさで埋めている。
夢を追う素晴らしさも夢に破れる厳しさも知っている僕だからこそ言える、「夢を追うことは素晴らしい」、しかし、それは「夢を叶えること」が素晴らしいのではなく、「覚悟を持って夢に向かって全力で走っている姿」が素晴らしいだけだ。覚悟無しで夢を追う者は自分の人生を棒に振る可能性がある。
語彙力=破壊力
語彙力=破壊力
日本語ヒップホップにおける語彙力の必要性は言うまでもなく、今までにブログで書いたように「日本語」と「ヒップホップ」の性質を考えれば、語彙力が無ければ淘汰されてしまう。DABOやLIBROなどは語彙力のみならず自分の声質とリズム感を活かし、最大限に日本語でのラップというもののレベルを上げていった。
そんな彼らに負けず劣らずのアーティストが今回紹介するZORNだ。
彼は元々はZORN THE DARKNESSという名で活動していたが、昭和レコードに移籍するタイミングでZORNに改名している。UMBやBBPなどのMC BATTLE出身の実力派であり、4thアルバム「サードチルドレン」より前の作品では、「震エテ眠レ」に代表されるように語彙力を全面に押し出した詩を朗読するようなポエトリーリーディングのラップをしていた。
しかし、昭和レコード移籍と同時に般若のアドバイスを参考にして、今までの語彙力を全面に押し出して一小節になるべく多くの語彙量を入れることをやめ、シンプルに韻を揃えるということをしたことで、「2 Da future」では過去の作品とは一線を画したシンプルで力強いメッセージ性を持った曲となった。シンプルだからこそ一語一語の単語が強調され韻を揃えた時のリズム感も心地良く聞こえる。”足し算ではなく引き算で作る”、般若のアドバイス以降の作品では、他のアーティストの客演でも作品を崩すことなく個性を殺すことなく丁度いい存在感を示している。
語彙力を最大限に引き出す≠語彙量を増やす
語彙力を最大限に引き出す=シンプル&スタイリッシュ
この「2 Da future」はZORN自身の原体験をシンプルなトラックとともに3rdアルバム以前の独自の世界観を保たせつつ、一つ上の次元へと昇華した作品となっている。
シンプルかつ情景が浮かぶような回想のリリックが響く。現実と夢との葛藤を表しているリリックに共感できるリスナーも多いのではないだろうか。巷でよく言うリアルなラップというものは定義が不明瞭で曖昧だが、この曲をリアルと呼ばずして何をリアルと呼べようか。
耳ヲ貸スベキ!
日本のヒップホップシーンにおける地方勢の台頭
久しぶりに更新!
今回は日本のヒップホップシーンにおける地方勢の台頭とその流れについてざっくりと書きたいと思います。
一極集中からの脱却
なぜ、一極集中から脱却できたのか?それについて書いていきます。
日本でヒップホップが産声をあげてから、ヒップホップシーンは常に東京中心の一極集中型でした。さんピン世代の全てが東京で活躍しており、東京以外では、横浜の関内や横須賀のごく一部のクラブでしかヒップホップは浸透していませんでした。ヒップホップをかけてくれるクラブは地方にもたしかにありましたが、そのようなクラブはごく少数でした。般若などは東京上京組の典型的な例です。東北出身ですが、RUMIと一緒に上京後から今現在も東京を代表するラッパーとして有名です。
そんな中で、OZROSAURUSの「AREA AREA」やTOKONA-Xの名古屋弁のラップがヒットし、地方からでもヒップホップを発信できるという土台が出来上がりました。ここにTha Blue Herbを入れても良かったのですが、地方シーンの確立というところで地方色の強いアーティストを選びました。
約何年経ったろう
あの頃から企んでた
東京よりやや西
潮の吹く港から俺もやったろう
この曲によって、横浜エリアが全国区で瞬く間にして有名になりました。また、この曲が収録されているアルバム「Rollin’ 045」では、「045 BB」や「Rollin’ 045」という横浜を前面に押し出した曲により、地方でも発信することができるという希望を生んだと同時に、地元のファンを増やすことに大成功しました。
また、この曲はDJ PMXがプロデュースしたこともあり、当時の日本では浸透していなかったWEST COATを一躍有名にしました。この曲は 、OZROSAURUSと横浜エリアの確立のみならず、後の日本のヒップホップ業界内のガラパゴス化へとつながるウェッサイの確立までを果たしました。
バカヤロウたわけ
おみゃあら並べ
お前とお前とお前だ
気を付けして並べ
なにをそんな怒っとんのって
俺にもわからんで
怒っとんだってこと
TOKONA-Xが方言でラップをしたことにより、日本語ラップの幅は一段と広くなりました。リリックだけみてもコテコテの方言ですね。TOKONA-Xは自身の生い立ちを綴った曲「Where's my hood at?feat.MACCHO」では、生まれ育ちが横浜であることから始まり、常滑に引っ越してから今までを等身大の言葉で綴っています。同じ横浜出身のMACCHOの客演も輝いています。
本編とは関係ありませんが聞いてみてください。
これらにより、地方から自分たちの言葉でヒップホップを発信できるという土台ができ、東京出身を謳っていたアーティスト達も東京の渋谷や新宿出身と細分化していき、東京一極集中時代が徐々に終わりを迎えることになりました。
そして、この流れをさらに加速させたのがインターネットの普及です。GAGLEが仙台から全国にネット配信した「雪ノ革命」による、地方にいながら全国のリスナーに届けるという形を成功させたことを筆頭に、キャスフィやニコ動などの大型サイトや音源の提供や掲示板でのMCバトルを主体とした小さなヒップホップサイトが活気づいていきました。これにより、自宅にいながら全国のMCやDJにトラックメイカーと繋がることができ、スキルアップや楽曲制作も格段に上になっていきました。
FROM仙台 ここにいながらにして
続けてく独自のスタイル
よく言われるよ 勝負しないか東京で
トップとSHOWしない 同じ土俵で
そこでSTOPするな来い その度量で
共に楽しもうぜ ALL DAY
有難いが まだ遊びたりないんだここで
ここに これだけかけてきたんだ
ダメ元で だから俺等は事は進めるよ
他でないここで FRIENDSと共にその元で
東北地方の土台のみならずネット上すらもヒップホップの土台として確立した瞬間でした。他のどこの地方のシーンにも似ていない独特の杜の都の雰囲気を出しています。
近年では、自分の地元をREPしてラップで繋いでいくDJ PMXの「4 MY CITY」「4 MY CITY Ⅱ」、NORIKIYOなどのremixが話題になったYOWTHの「地方B-BOY行進曲 第3章」、さんぴん世代から若手までが「◯◯(地元の県や地名)UP!」としてRemixが続々と出されたSHINGO☆西成の「大阪UP!」、などなど枚挙に暇がないほど様々な地方のシーンの台頭が賑わせています。
これにより、地方のクラブも賑わうようになり、結果としてわざわざ上京しなくても地元からコツコツと努力をしていけば全国区でも通用するようになる環境が整いました。
震災とヒップホップ
この地方の流れは、「AREA AREA」からインターネットの普及により、急速に浸透していったように書きましたが、実を言うと、3.11の影響もあると思います。 嫌いな人は読み飛ばして結構です。
3.11以降、津波の被害や福島の原発事故などで地元を失った方々も数少なくありません。そのような現実を目の当たりにした時に、「当たり前だと思っていた地元も当たり前ではない」ということに気づかされ、自分を育ててくれた地元というものをより大切にしようという流れが奥深くに流れはじめたのではないでしょうか。それが一時のRemixシリーズなどの地方色を強く出した作品にも表れています。
地方が強くなるとどうなるか?
一極集中と市場規模は変わらないが、地方に埋もれていた原石が活躍しやすくなります。そして、各地方による多様化細分化が進んでいき、各地方で特徴あるヒップホップ文化が生まれ、これにより日本のヒップホップのガラパゴス化が進んでいきます。札幌、仙台、東京、横浜、横須賀、相模原、名古屋、大阪、岡山、福岡、各都市を代表するラッパーが存在し、牽引することでもっともっと大きな化学反応が期待できます。
不良のコミュニティ範囲から考えても地方が強くなったことは、ヒップホップにとって大きな一歩です。なぜなら、中卒や高卒が未だに多いヒップホップシーンにおいては、地元の先輩や後輩との繋がりが強いというメリットと他の地域には全く知り合いがいないというデメリットが存在します。そして、地方のクラブハウスには大抵がこういう面々がいるわけですから、地元で成功すれば根強いファンを獲得することができ、自分の地位を盤石にしやすいわけです。
そこから全国区に羽ばたきつつ、地元も大切にする、というこの手法で着実に全国クラスへと化けていくのが現在のヒップホップシーンでの成功パターンの主流です。しかし、ここでの落とし穴が前回のブログにも書いた「メジャーvs.インディーズ」問題です。
メジャーデビュー肯定派
KREVAが武道館ライブを成功させた事例を見ても、メジャーならばファン数も稼ぐ金額も桁違いになります。つまり、成り上がることができるのです。誰だって金持ちになりたいし有名になりたい、日本でもZEEBRAや宇多丸にKREVAなどの成功者が現れ、実現可能な夢になりました。ヒップホップにおけるジャパニーズドリームというものが形になってきたということです。
メジャーデビュー否定派
これはヒップホップに限らずどのジャンルどのアーティストに共通する問題だと思います。より一般ウケするように当たり障りのない歌詞や売れるための路線変更も行う場合が多いです。昔からのファンはこれを嫌がりますよね。ヒップホップは特にこの傾向を嫌がります。なぜなら、ワル自慢をしていたのに恋愛について語られても鳥肌立ちますよね。ヒップホップという性質上、また先ほど①で申し上げたように固定観念に縛られているために、メジャーのために自分のスタイルを変えるということをファンは極度に嫌がります。なぜなら、固定観念という名の命綱だけで繋がっているからです。これは暴論かと思われるかもしれませんが、僕にとってはありのままを伝えただけです。
このように地方勢の台頭はメリットと同時に数多くの課題も抱えているのも事実です。また、誰にでも気軽に制作でき発表できるというのは、とても便利で誰にでもチャンスを与えた反面、デビューの低年齢化やスキルの平均の低下も引き起こすことになりました。そして、インターネット上でのプロにも負けず劣らずのアマチュアが数多く出現したことにより、リスナーの求めるものの質も上がっていきました。
ますます激戦区になりつつある日本のヒップホップシーン。LIBROの再始動やキングギドラの結成20周年などのベテランの復活や各地方の若手MCの活躍など、まだまだ目が離せそうにないですね。
日本のヒップホップはダサい?
HIPHOP=ダサい?
久しぶりの更新!
今回は、何故ヒップホップというものは一般ウケが悪いのか?というテーマで、書いていきたいと思います。いくつも要因はありますが、その中でなるべく短く説明できるものをいくつか挙げていきたいと思います。
①イメージが悪い
元々、アメリカの貧困層で生まれたストリートミュージックであり、ヒップホップカルチャーの根底にそれらが今も強く影響しているために、一般的にもヒップホップ=ワル、ゲットー、成り上がり、etc...というようなイメージが定着してしまっている事が挙げられます。そして、さらに問題な事にこのイメージに憧れを持った不良少年少女が、ファンになったり、自身もデビューをするということが起こっています。
つまり、いつまで経っても固定観念に縛られており、悪いイメージが払拭されることなく脈々と受け継がれているということです。
そして、さらに厄介な事に当人たちはそれに全く気づいていないor気づいていないフリをしている ということが起こっています。
例えば、ギャングスタラップ(アメリカのギャングやマフィアに所属しているようなラッパーが自身についてラップするって覚えてくれれば結構です)を日本でそのまま輸入してきても日本に合わないし猿真似をしているだけで全然カッコよくないという事に気づいていないんです。考えてみてください、アメリカは銃社会であり多民族が共存し貧困格差も激しく人種差別もあるんです、だからこそ、スラム街で生まれた者が成り上がるための方法はスポーツ選手やアーティストそしてギャングやマフィアくらいしか無いんです。そして、それこそがヒップホップの源流でもあるんです。
では、日本はどうでしょうか?銃も規制されているし麻薬や覚せい剤などもそこまで一般的に浸透しているわけではない。そんなところで、銃や麻薬の歌を歌ったって何も面白くないしこいつ何言ってるんだ?ってなりますよね。しかし、ヒップホップ=ワルの固定観念のあるファンは、日本で銃や麻薬や覚せい剤などが歌詞中に出てきても「自分は経験したことないけど、こういう世界もあるんだなあ」と何の疑いもせずに受け入れてしまうんです。たしかに、日本でも銃も麻薬も入手することはできるし人種差別も貧困格差もあります、しかし、だからといってそれが一般的ではありません。つまり、そんな内容のラップをしたところで殆どのリスナーは共感も感動もしないのです。しかし、共感や感動をするマイノリティーのリスナーがいるために、そこを大切にしているために、今も固定観念に縛られたままで変わらないのです。
②メジャーvs.インディーズ
メジャーとインディーズの違いについては、特に説明をしなくても何となく皆さん知っていると思うので 割愛させていただきます。
メジャー=大企業
・市場規模が大きい
・アーティスト数は少ない
・メディア露出多い
・制限多い
インディーズ=中小企業
・市場規模が小さい
・アーティスト数は多い
・メディア露出少ない
・制限少ない
こんな感じですね。
殆どのラッパーはインディーズで活躍しています。でも、メジャーデビューというか有名になりたいという気持ちは常に持っている人が殆どです。逆に、絶対にメジャーデビューしたくないという人も少なくありません。なぜでしょうか?
メジャーデビュー肯定派
KREVAが武道館ライブを成功させた事例を見ても、メジャーならばファン数も稼ぐ金額も桁違いになります。つまり、成り上がることができるのです。誰だって金持ちになりたいし有名になりたい、日本でもZEEBRAや宇多丸にKREVAなどの成功者が現れ、実現可能な夢になりました。ヒップホップにおけるジャパニーズドリームというものが形になってきたということです。
メジャーデビュー否定派
これはヒップホップに限らずどのジャンルどのアーティストに共通する問題だと思います。より一般ウケするように当たり障りのない歌詞や売れるための路線変更も行う場合が多いです。昔からのファンはこれを嫌がりますよね。ヒップホップは特にこの傾向を嫌がります。なぜなら、ワル自慢をしていたのに恋愛について語られても鳥肌立ちますよね。ヒップホップという性質上、また先ほど①で申し上げたように固定観念に縛られているために、メジャーのために自分のスタイルを変えるということをファンは極度に嫌がります。なぜなら、固定観念という名の命綱だけで繋がっているからです。これは暴論かと思われるかもしれませんが、僕にとってはありのままを伝えただけです。
③ヒップホップ=短編小説
一曲における歌詞量から言えば、
J POP=コピーライト
HIPHOP=短編小説
日本語というのは、そもそもが単語一つ音一つだけでも他の言語よりも情報量が多い言語として知られていますよね。そして、ラップという歌唱法。言葉を早口で紡ぐ。同じ一小節でも他のジャンルと違って大量に情報を入れることができる。
つまり、才能や語彙量が無いラッパーは内容の薄っぺらくなってしまいます。上記の日本語とラップの特徴を踏まえれば仕方ないことなのです。
日本語でヒップホップをするということはハードルが高く難しい一面もありますが、それゆえにクラシックと言われるような名曲には、他の音楽ジャンルの名曲に負けず劣らずの価値があるといえます。
④リスナーの問題
僕自身の経験談です。
僕は小学生の頃に、森山直太朗の「さくら」や175Rの「空に唄えば」から入り、母親の影響でサザンやスピッツに荒井由実に傾倒していました。そして、MTVやスペースシャワーTVなどでフォークもカントリーも聞くような雑食でした。
しかし、ある日カウントダウンTVでZEEBRAの「STREET DREAMS」のMVを見て人生がすべて変わりました。小学生の自分には、ダボダボの服にロングチェーンネックレスを付けて飛行場を肩で風切ってラップしているZEEBRAに心酔してしまいました。他のジャンルと違って、シンプルなドラムビートに力強いメッセージ性に完全に心を奪われてしまいました。
そこから、日本のヒップホップに深くのめり込むようになり、nobodyknows+やKREVAにSOUL’dOUTなどのメジャーシーンで活躍しているようなアーティストからキングギドラにRhymesterなどのさんぴん世代にOZROSAURUSなどの横浜ゆかりのラッパーも聞くようになりました。
そこで気づいたのが、ヒップホップというものの奥深さです。アメリカ本土でも西海岸中心と東海岸中心に栄えた歴史もあれば人種差別やギャングスタラップなどの様々な背景があり、日本で輸入されたものもそれらの影響をそれぞれ受けて発展していきました。
ヒップホップ好きと一括りでくくっても、中身を見れば様々なこだわりがあるので一概に皆同じというわけではありません。
例えば、おにぎり好きって言っている人も好きな具は人それぞれですよね。それと同じことです。ちなみに僕はたらこが最近好きです(笑)
しばらくヒップホップ=おにぎりで説明させてもらいましょう。
皆さんは”おにぎりを知らない人に「おにぎりについて教えてくれ」と言われたら”どう答えますか?僕ならとりあえず「ごはんを手で握って、のりを巻いた食べ物」とだけ説明して、おかかやシャケや梅などのメジャーな具のおにぎりを実際に食べてもらいます。そして、その人が気に入ったら違う具のおにぎりやアレンジしたおにぎりを食べてもらい、もっと魅力を伝えていきたいです。しかし、ここで問題なのは、おにぎりばかり食べているせいでおにぎり同士の比較は十二分に詳しく説明できますが、おにぎり以外のパンや麺類
と比較して魅力を伝えることが難しいということです。
ヒップホップのリスナーはアングラ勢つまりインディーズのコアなファンほど他ジャンルの音楽をあまり聞かない傾向にあります。僕自身も最近のアーティスト名と曲名は知っててもカラオケで歌うほどは知りません。つまり、ヒップホップ好きにさせるためにヒップホップジャンルの中でイチオシの曲はあるけれども、それはあくまでもヒップホップというジャンルの中でイチオシなだけであって、他の音楽ジャンルと比較してもその曲は聴きやすいかという配慮までされていない場合が多々有ります...。で、紹介された曲を聴いても早口だし英語ちょいちょい挟んでくるしよく分からないし...ってなってしまうパターンが多すぎます。それじゃダメじゃん。
タラタラ書きましたが、ヒップホップが一般受けしない理由をざっくりと振り返りましょう。
①固定観念に縛られすぎ
②メジャーとヒップホップは性質上合わない
③本当にスキル無いとダサいし淘汰される
④リスナーが一般向けに魅力を伝えきれていない
久しぶりで文章めちゃくちゃだし、この4点はまとめないで1点ずつもっと細く書いたほうが良かったなー。暇つぶしで読んでくれてありがとうございました!
R.I.P DEV LARGE
2015.5.5 DEV LARGE 死去
日本のヒップホップ誕生に大きく影響を与えた、いや今でも影響を与え続けている伝説中の伝説、BUDDHA BRANDのMCであるDEV LARGE(デブラージ)が亡くなられた。
彼のカリスマ性というものは本当にすごいものだ。まだ無名の日本のヒップホップというものをBUDDHA BRANDの人間発電所という一曲ですべて塗り替えてしまった。その年のティーン向けの雑誌の音楽ランキングやモデル等のお気に入りの一曲にも何回も紹介されるほどの人気ぶりだった。
この曲のクレジットには、さんピン世代の代表格のラッパーやグループ、無名であったウェッサイのDS455(DJ PMXが当時のDJで唯一ドラムバスを打ち込むことができたので、この曲にも編曲者として参加していたため)などなど本当にこの時代をすべて凝縮している。
日本のヒップホップ史上最初の大きなBEEF(ラップで相手を批判し合うこと、パフォーマンス的要素あり)である「K DUB SHINE vs.DEV LARGE」はネットを介して瞬く間に多くのリスナーを魅了した。この一連の流れはこれ以降の日本のヒップホップのBEEFにも影響を及ぼしていく。
RhymesterのMummy-Dは「リズムに乗ることができるならば韻を踏む必要はない」とラップについて言及しているが、それを体現しているのがDEV LARGEではないだろうか。BUDDHA BRANDの頃やD.Lとしてのソロの頃の作品もあまり韻を踏んでいないことが分かる。しかし、気持ち良いほどにトラックに合わせてラップをしているのである。賛否両論あるが、韻を踏まずにリズミカルにラップをすることのできるラッパーはなかなかいない。
忙しいのでざっとですが、以上
Rest In Peace DEV LARGE.
さんピン世代とは?Ⅱ
『蜂と蝶/SOUL SCREAM』
さんピン世代、90年代の最高峰を紹介していきたいと思います。
まずはこの曲。
クセのないトラックにガチガチに踏んだ文学チックなリリック。
試行錯誤している中でも、このようにすでに現在のシーンでも高水準な曲というのは数多くありました。これらの曲が、このさんピン世代というものを伝説にしている理由の一つといえますね。
SOUL SCREAMのリリックというのは、語彙量と言い回しにより、文学的なリリックや哲学的なテーマに仕上がっています。小節間を埋めるために少しリリックに合わない単語が出てくることがありますが、それを差し引いても完成度の高いリリックです。
ドラムバスが弱いのが、この時代の特徴ですので、メロディーが覚えやすい、聞き取りやすい曲が自然と”クラシック”と呼ばれるようになりました。(クラシックとは、最高の曲という意味です)。この時代以降はオートチューンや機械化が進み、よりテクノ調の曲が増えていきました。
蝶のように舞い、蜂のように刺す