日本のヒップホップシーンにおける地方勢の台頭
久しぶりに更新!
今回は日本のヒップホップシーンにおける地方勢の台頭とその流れについてざっくりと書きたいと思います。
一極集中からの脱却
なぜ、一極集中から脱却できたのか?それについて書いていきます。
日本でヒップホップが産声をあげてから、ヒップホップシーンは常に東京中心の一極集中型でした。さんピン世代の全てが東京で活躍しており、東京以外では、横浜の関内や横須賀のごく一部のクラブでしかヒップホップは浸透していませんでした。ヒップホップをかけてくれるクラブは地方にもたしかにありましたが、そのようなクラブはごく少数でした。般若などは東京上京組の典型的な例です。東北出身ですが、RUMIと一緒に上京後から今現在も東京を代表するラッパーとして有名です。
そんな中で、OZROSAURUSの「AREA AREA」やTOKONA-Xの名古屋弁のラップがヒットし、地方からでもヒップホップを発信できるという土台が出来上がりました。ここにTha Blue Herbを入れても良かったのですが、地方シーンの確立というところで地方色の強いアーティストを選びました。
約何年経ったろう
あの頃から企んでた
東京よりやや西
潮の吹く港から俺もやったろう
この曲によって、横浜エリアが全国区で瞬く間にして有名になりました。また、この曲が収録されているアルバム「Rollin’ 045」では、「045 BB」や「Rollin’ 045」という横浜を前面に押し出した曲により、地方でも発信することができるという希望を生んだと同時に、地元のファンを増やすことに大成功しました。
また、この曲はDJ PMXがプロデュースしたこともあり、当時の日本では浸透していなかったWEST COATを一躍有名にしました。この曲は 、OZROSAURUSと横浜エリアの確立のみならず、後の日本のヒップホップ業界内のガラパゴス化へとつながるウェッサイの確立までを果たしました。
バカヤロウたわけ
おみゃあら並べ
お前とお前とお前だ
気を付けして並べ
なにをそんな怒っとんのって
俺にもわからんで
怒っとんだってこと
TOKONA-Xが方言でラップをしたことにより、日本語ラップの幅は一段と広くなりました。リリックだけみてもコテコテの方言ですね。TOKONA-Xは自身の生い立ちを綴った曲「Where's my hood at?feat.MACCHO」では、生まれ育ちが横浜であることから始まり、常滑に引っ越してから今までを等身大の言葉で綴っています。同じ横浜出身のMACCHOの客演も輝いています。
本編とは関係ありませんが聞いてみてください。
これらにより、地方から自分たちの言葉でヒップホップを発信できるという土台ができ、東京出身を謳っていたアーティスト達も東京の渋谷や新宿出身と細分化していき、東京一極集中時代が徐々に終わりを迎えることになりました。
そして、この流れをさらに加速させたのがインターネットの普及です。GAGLEが仙台から全国にネット配信した「雪ノ革命」による、地方にいながら全国のリスナーに届けるという形を成功させたことを筆頭に、キャスフィやニコ動などの大型サイトや音源の提供や掲示板でのMCバトルを主体とした小さなヒップホップサイトが活気づいていきました。これにより、自宅にいながら全国のMCやDJにトラックメイカーと繋がることができ、スキルアップや楽曲制作も格段に上になっていきました。
FROM仙台 ここにいながらにして
続けてく独自のスタイル
よく言われるよ 勝負しないか東京で
トップとSHOWしない 同じ土俵で
そこでSTOPするな来い その度量で
共に楽しもうぜ ALL DAY
有難いが まだ遊びたりないんだここで
ここに これだけかけてきたんだ
ダメ元で だから俺等は事は進めるよ
他でないここで FRIENDSと共にその元で
東北地方の土台のみならずネット上すらもヒップホップの土台として確立した瞬間でした。他のどこの地方のシーンにも似ていない独特の杜の都の雰囲気を出しています。
近年では、自分の地元をREPしてラップで繋いでいくDJ PMXの「4 MY CITY」「4 MY CITY Ⅱ」、NORIKIYOなどのremixが話題になったYOWTHの「地方B-BOY行進曲 第3章」、さんぴん世代から若手までが「◯◯(地元の県や地名)UP!」としてRemixが続々と出されたSHINGO☆西成の「大阪UP!」、などなど枚挙に暇がないほど様々な地方のシーンの台頭が賑わせています。
これにより、地方のクラブも賑わうようになり、結果としてわざわざ上京しなくても地元からコツコツと努力をしていけば全国区でも通用するようになる環境が整いました。
震災とヒップホップ
この地方の流れは、「AREA AREA」からインターネットの普及により、急速に浸透していったように書きましたが、実を言うと、3.11の影響もあると思います。 嫌いな人は読み飛ばして結構です。
3.11以降、津波の被害や福島の原発事故などで地元を失った方々も数少なくありません。そのような現実を目の当たりにした時に、「当たり前だと思っていた地元も当たり前ではない」ということに気づかされ、自分を育ててくれた地元というものをより大切にしようという流れが奥深くに流れはじめたのではないでしょうか。それが一時のRemixシリーズなどの地方色を強く出した作品にも表れています。
地方が強くなるとどうなるか?
一極集中と市場規模は変わらないが、地方に埋もれていた原石が活躍しやすくなります。そして、各地方による多様化細分化が進んでいき、各地方で特徴あるヒップホップ文化が生まれ、これにより日本のヒップホップのガラパゴス化が進んでいきます。札幌、仙台、東京、横浜、横須賀、相模原、名古屋、大阪、岡山、福岡、各都市を代表するラッパーが存在し、牽引することでもっともっと大きな化学反応が期待できます。
不良のコミュニティ範囲から考えても地方が強くなったことは、ヒップホップにとって大きな一歩です。なぜなら、中卒や高卒が未だに多いヒップホップシーンにおいては、地元の先輩や後輩との繋がりが強いというメリットと他の地域には全く知り合いがいないというデメリットが存在します。そして、地方のクラブハウスには大抵がこういう面々がいるわけですから、地元で成功すれば根強いファンを獲得することができ、自分の地位を盤石にしやすいわけです。
そこから全国区に羽ばたきつつ、地元も大切にする、というこの手法で着実に全国クラスへと化けていくのが現在のヒップホップシーンでの成功パターンの主流です。しかし、ここでの落とし穴が前回のブログにも書いた「メジャーvs.インディーズ」問題です。
メジャーデビュー肯定派
KREVAが武道館ライブを成功させた事例を見ても、メジャーならばファン数も稼ぐ金額も桁違いになります。つまり、成り上がることができるのです。誰だって金持ちになりたいし有名になりたい、日本でもZEEBRAや宇多丸にKREVAなどの成功者が現れ、実現可能な夢になりました。ヒップホップにおけるジャパニーズドリームというものが形になってきたということです。
メジャーデビュー否定派
これはヒップホップに限らずどのジャンルどのアーティストに共通する問題だと思います。より一般ウケするように当たり障りのない歌詞や売れるための路線変更も行う場合が多いです。昔からのファンはこれを嫌がりますよね。ヒップホップは特にこの傾向を嫌がります。なぜなら、ワル自慢をしていたのに恋愛について語られても鳥肌立ちますよね。ヒップホップという性質上、また先ほど①で申し上げたように固定観念に縛られているために、メジャーのために自分のスタイルを変えるということをファンは極度に嫌がります。なぜなら、固定観念という名の命綱だけで繋がっているからです。これは暴論かと思われるかもしれませんが、僕にとってはありのままを伝えただけです。
このように地方勢の台頭はメリットと同時に数多くの課題も抱えているのも事実です。また、誰にでも気軽に制作でき発表できるというのは、とても便利で誰にでもチャンスを与えた反面、デビューの低年齢化やスキルの平均の低下も引き起こすことになりました。そして、インターネット上でのプロにも負けず劣らずのアマチュアが数多く出現したことにより、リスナーの求めるものの質も上がっていきました。
ますます激戦区になりつつある日本のヒップホップシーン。LIBROの再始動やキングギドラの結成20周年などのベテランの復活や各地方の若手MCの活躍など、まだまだ目が離せそうにないですね。
日本のヒップホップはダサい?
HIPHOP=ダサい?
久しぶりの更新!
今回は、何故ヒップホップというものは一般ウケが悪いのか?というテーマで、書いていきたいと思います。いくつも要因はありますが、その中でなるべく短く説明できるものをいくつか挙げていきたいと思います。
①イメージが悪い
元々、アメリカの貧困層で生まれたストリートミュージックであり、ヒップホップカルチャーの根底にそれらが今も強く影響しているために、一般的にもヒップホップ=ワル、ゲットー、成り上がり、etc...というようなイメージが定着してしまっている事が挙げられます。そして、さらに問題な事にこのイメージに憧れを持った不良少年少女が、ファンになったり、自身もデビューをするということが起こっています。
つまり、いつまで経っても固定観念に縛られており、悪いイメージが払拭されることなく脈々と受け継がれているということです。
そして、さらに厄介な事に当人たちはそれに全く気づいていないor気づいていないフリをしている ということが起こっています。
例えば、ギャングスタラップ(アメリカのギャングやマフィアに所属しているようなラッパーが自身についてラップするって覚えてくれれば結構です)を日本でそのまま輸入してきても日本に合わないし猿真似をしているだけで全然カッコよくないという事に気づいていないんです。考えてみてください、アメリカは銃社会であり多民族が共存し貧困格差も激しく人種差別もあるんです、だからこそ、スラム街で生まれた者が成り上がるための方法はスポーツ選手やアーティストそしてギャングやマフィアくらいしか無いんです。そして、それこそがヒップホップの源流でもあるんです。
では、日本はどうでしょうか?銃も規制されているし麻薬や覚せい剤などもそこまで一般的に浸透しているわけではない。そんなところで、銃や麻薬の歌を歌ったって何も面白くないしこいつ何言ってるんだ?ってなりますよね。しかし、ヒップホップ=ワルの固定観念のあるファンは、日本で銃や麻薬や覚せい剤などが歌詞中に出てきても「自分は経験したことないけど、こういう世界もあるんだなあ」と何の疑いもせずに受け入れてしまうんです。たしかに、日本でも銃も麻薬も入手することはできるし人種差別も貧困格差もあります、しかし、だからといってそれが一般的ではありません。つまり、そんな内容のラップをしたところで殆どのリスナーは共感も感動もしないのです。しかし、共感や感動をするマイノリティーのリスナーがいるために、そこを大切にしているために、今も固定観念に縛られたままで変わらないのです。
②メジャーvs.インディーズ
メジャーとインディーズの違いについては、特に説明をしなくても何となく皆さん知っていると思うので 割愛させていただきます。
メジャー=大企業
・市場規模が大きい
・アーティスト数は少ない
・メディア露出多い
・制限多い
インディーズ=中小企業
・市場規模が小さい
・アーティスト数は多い
・メディア露出少ない
・制限少ない
こんな感じですね。
殆どのラッパーはインディーズで活躍しています。でも、メジャーデビューというか有名になりたいという気持ちは常に持っている人が殆どです。逆に、絶対にメジャーデビューしたくないという人も少なくありません。なぜでしょうか?
メジャーデビュー肯定派
KREVAが武道館ライブを成功させた事例を見ても、メジャーならばファン数も稼ぐ金額も桁違いになります。つまり、成り上がることができるのです。誰だって金持ちになりたいし有名になりたい、日本でもZEEBRAや宇多丸にKREVAなどの成功者が現れ、実現可能な夢になりました。ヒップホップにおけるジャパニーズドリームというものが形になってきたということです。
メジャーデビュー否定派
これはヒップホップに限らずどのジャンルどのアーティストに共通する問題だと思います。より一般ウケするように当たり障りのない歌詞や売れるための路線変更も行う場合が多いです。昔からのファンはこれを嫌がりますよね。ヒップホップは特にこの傾向を嫌がります。なぜなら、ワル自慢をしていたのに恋愛について語られても鳥肌立ちますよね。ヒップホップという性質上、また先ほど①で申し上げたように固定観念に縛られているために、メジャーのために自分のスタイルを変えるということをファンは極度に嫌がります。なぜなら、固定観念という名の命綱だけで繋がっているからです。これは暴論かと思われるかもしれませんが、僕にとってはありのままを伝えただけです。
③ヒップホップ=短編小説
一曲における歌詞量から言えば、
J POP=コピーライト
HIPHOP=短編小説
日本語というのは、そもそもが単語一つ音一つだけでも他の言語よりも情報量が多い言語として知られていますよね。そして、ラップという歌唱法。言葉を早口で紡ぐ。同じ一小節でも他のジャンルと違って大量に情報を入れることができる。
つまり、才能や語彙量が無いラッパーは内容の薄っぺらくなってしまいます。上記の日本語とラップの特徴を踏まえれば仕方ないことなのです。
日本語でヒップホップをするということはハードルが高く難しい一面もありますが、それゆえにクラシックと言われるような名曲には、他の音楽ジャンルの名曲に負けず劣らずの価値があるといえます。
④リスナーの問題
僕自身の経験談です。
僕は小学生の頃に、森山直太朗の「さくら」や175Rの「空に唄えば」から入り、母親の影響でサザンやスピッツに荒井由実に傾倒していました。そして、MTVやスペースシャワーTVなどでフォークもカントリーも聞くような雑食でした。
しかし、ある日カウントダウンTVでZEEBRAの「STREET DREAMS」のMVを見て人生がすべて変わりました。小学生の自分には、ダボダボの服にロングチェーンネックレスを付けて飛行場を肩で風切ってラップしているZEEBRAに心酔してしまいました。他のジャンルと違って、シンプルなドラムビートに力強いメッセージ性に完全に心を奪われてしまいました。
そこから、日本のヒップホップに深くのめり込むようになり、nobodyknows+やKREVAにSOUL’dOUTなどのメジャーシーンで活躍しているようなアーティストからキングギドラにRhymesterなどのさんぴん世代にOZROSAURUSなどの横浜ゆかりのラッパーも聞くようになりました。
そこで気づいたのが、ヒップホップというものの奥深さです。アメリカ本土でも西海岸中心と東海岸中心に栄えた歴史もあれば人種差別やギャングスタラップなどの様々な背景があり、日本で輸入されたものもそれらの影響をそれぞれ受けて発展していきました。
ヒップホップ好きと一括りでくくっても、中身を見れば様々なこだわりがあるので一概に皆同じというわけではありません。
例えば、おにぎり好きって言っている人も好きな具は人それぞれですよね。それと同じことです。ちなみに僕はたらこが最近好きです(笑)
しばらくヒップホップ=おにぎりで説明させてもらいましょう。
皆さんは”おにぎりを知らない人に「おにぎりについて教えてくれ」と言われたら”どう答えますか?僕ならとりあえず「ごはんを手で握って、のりを巻いた食べ物」とだけ説明して、おかかやシャケや梅などのメジャーな具のおにぎりを実際に食べてもらいます。そして、その人が気に入ったら違う具のおにぎりやアレンジしたおにぎりを食べてもらい、もっと魅力を伝えていきたいです。しかし、ここで問題なのは、おにぎりばかり食べているせいでおにぎり同士の比較は十二分に詳しく説明できますが、おにぎり以外のパンや麺類
と比較して魅力を伝えることが難しいということです。
ヒップホップのリスナーはアングラ勢つまりインディーズのコアなファンほど他ジャンルの音楽をあまり聞かない傾向にあります。僕自身も最近のアーティスト名と曲名は知っててもカラオケで歌うほどは知りません。つまり、ヒップホップ好きにさせるためにヒップホップジャンルの中でイチオシの曲はあるけれども、それはあくまでもヒップホップというジャンルの中でイチオシなだけであって、他の音楽ジャンルと比較してもその曲は聴きやすいかという配慮までされていない場合が多々有ります...。で、紹介された曲を聴いても早口だし英語ちょいちょい挟んでくるしよく分からないし...ってなってしまうパターンが多すぎます。それじゃダメじゃん。
タラタラ書きましたが、ヒップホップが一般受けしない理由をざっくりと振り返りましょう。
①固定観念に縛られすぎ
②メジャーとヒップホップは性質上合わない
③本当にスキル無いとダサいし淘汰される
④リスナーが一般向けに魅力を伝えきれていない
久しぶりで文章めちゃくちゃだし、この4点はまとめないで1点ずつもっと細く書いたほうが良かったなー。暇つぶしで読んでくれてありがとうございました!
R.I.P DEV LARGE
2015.5.5 DEV LARGE 死去
日本のヒップホップ誕生に大きく影響を与えた、いや今でも影響を与え続けている伝説中の伝説、BUDDHA BRANDのMCであるDEV LARGE(デブラージ)が亡くなられた。
彼のカリスマ性というものは本当にすごいものだ。まだ無名の日本のヒップホップというものをBUDDHA BRANDの人間発電所という一曲ですべて塗り替えてしまった。その年のティーン向けの雑誌の音楽ランキングやモデル等のお気に入りの一曲にも何回も紹介されるほどの人気ぶりだった。
この曲のクレジットには、さんピン世代の代表格のラッパーやグループ、無名であったウェッサイのDS455(DJ PMXが当時のDJで唯一ドラムバスを打ち込むことができたので、この曲にも編曲者として参加していたため)などなど本当にこの時代をすべて凝縮している。
日本のヒップホップ史上最初の大きなBEEF(ラップで相手を批判し合うこと、パフォーマンス的要素あり)である「K DUB SHINE vs.DEV LARGE」はネットを介して瞬く間に多くのリスナーを魅了した。この一連の流れはこれ以降の日本のヒップホップのBEEFにも影響を及ぼしていく。
RhymesterのMummy-Dは「リズムに乗ることができるならば韻を踏む必要はない」とラップについて言及しているが、それを体現しているのがDEV LARGEではないだろうか。BUDDHA BRANDの頃やD.Lとしてのソロの頃の作品もあまり韻を踏んでいないことが分かる。しかし、気持ち良いほどにトラックに合わせてラップをしているのである。賛否両論あるが、韻を踏まずにリズミカルにラップをすることのできるラッパーはなかなかいない。
忙しいのでざっとですが、以上
Rest In Peace DEV LARGE.
さんピン世代とは?Ⅱ
『蜂と蝶/SOUL SCREAM』
さんピン世代、90年代の最高峰を紹介していきたいと思います。
まずはこの曲。
クセのないトラックにガチガチに踏んだ文学チックなリリック。
試行錯誤している中でも、このようにすでに現在のシーンでも高水準な曲というのは数多くありました。これらの曲が、このさんピン世代というものを伝説にしている理由の一つといえますね。
SOUL SCREAMのリリックというのは、語彙量と言い回しにより、文学的なリリックや哲学的なテーマに仕上がっています。小節間を埋めるために少しリリックに合わない単語が出てくることがありますが、それを差し引いても完成度の高いリリックです。
ドラムバスが弱いのが、この時代の特徴ですので、メロディーが覚えやすい、聞き取りやすい曲が自然と”クラシック”と呼ばれるようになりました。(クラシックとは、最高の曲という意味です)。この時代以降はオートチューンや機械化が進み、よりテクノ調の曲が増えていきました。
蝶のように舞い、蜂のように刺す
さんピン世代とは?
『J-RAPは死んだ。俺が殺した』
日本のヒップホップの歴史を語る上で、
「さんピンCAMP」という言葉は欠かせない。
1996.7.7「さんピンCAMP」@日比谷野外音楽堂
ECD主催による初の大規模の日本のヒップホップイベント
この時代の背景としては、スチャダラパーや高木完などの活躍によるJ-RAPの台頭、日本の音楽シーンからの日本のヒップホップの締め出し、などなど様々な出来事がありました。スチャラダラパーの功績はたしかにすごいですが、さんピン世代の目指すべき日本のヒップホップとは方向性が違った、ということがさんピン世代の以前と違う点ではないでしょうか?
試行錯誤の中で、”日本語で韻を踏む”ことや”日本でヒップホップできるのか?”という葛藤や不安の中でもがきながらラッパーもヘッズも関係なく、すべての人で作り上げていっているのが分かります。
たしかに、この世代のスキルなどは今と比べると天と地の差がありますが、熱気は段違いにありますよね。これほどまでに全員で作り上げているステージは前代未聞なのではないでしょうか?多くのアーティストと多くのヘッズたちが作り上げたステージ、伝説となった理由はそこにあるのでは?
この曲は、この世代の代表格のBUDDHABRANDとSHAKKAZOMBIEがコラボした大神の「大怪我」というものです。ECDの最初のセリフは鳥肌ものですね。ここから全てがはじまりました。曲の中身については特に書きません、とりあえず、日本のヒップホップが産声を上げた瞬間、熱気を感じてください。
B-BOYのBを定義してみな!
B-BOYイズム/Rhymester
先日、会社の面接でDJ経験のある面接官と日本のヒップホップについて熱く話してしまった僕です。
今回は、そこまで熱く話すことができるほどに熱中した世代、さんピン世代の中からこの一曲を紹介したいと思います。
ライムスター、キングオブステージの名前に恥じない”生きる伝説”。宇多丸、Mummy-D、DJ JIN、の3人からなる2MC1DJのグループです。
この曲は、日本語ラップへのアンチテーゼ、地下活動していた日本のヒップホップの熱気、様々なそれぞれの思いが込められている曲だと感じます。全国のB-BOYの背中を後押ししたようなそんなリリックに共感した人も多かったのではないでしょうか。わかる人だけに分かればいい、自分たちのやっていることやっている音楽に誇りを持っている、全国のB-BOYのために捧げる、そんな思いが伝わってきます。
PVでは、今では大ベテランと言われているあの人やこの人が後ろの外野として映っています。例えるならば、マンガのワンピースでGロジャーが処刑された時に、当時ルーキーだったシャンクスやクロコダイルにドフラミンゴなどの様々な大物があの場所にいた、それと同じようなものだと考えてください。間違いなく、さんピン世代を代表する一曲です。
さんピン世代については、複数回に分かれて記事を書きたいと思います。
世代別に大きく分けると、
さんピン世代
日本のヒップホップ内のジャンル確立期
ネットラップ台頭世代
コンクリートグリーン世代
スキルのインフレ化世代
それぞれの世代についても、いつか書きたいとは思います。
B-BOYのBを定義してみな
「決して譲れないぜこの美学
何者にも媚びず己を磨く」
J-POP好きに捧げる聴きやすいラップ
アンチラップなJ-POP好きに送る回
はじまりの日 feat.Mummy-D/スガシカオ
Mummy-D、RhymesterのマイクロフォンNo.2。黎明期時代からシーンを支えている大ベテラン。ゴスペラーズの先輩。Mummy-Dの変幻自在なラップは、日本語ラップの可能性を広げ続けているパイオニア的な存在であり続けているのではないだろうか。般若やMACCHOは、日本語ラップシーンの中で変革をし続けている、つまりはコアな部分で進化し続けている怪物だ。それとは対照的に、KREVAやZEEBRAそしてMummy-Dは、インディーズからメジャー、R&BからRock、様々なジャンルや人とコラボしていった結果、日本語ラップという可能性を広げていった。また、それに伴いミクスチャーバンドやラップ調の音楽が増えた要因の一つとなったとも考えられるかもしれない。
ラップというものは、メロディーに合わせないというイメージを持たれがちで、従来の音楽好きには敬遠されがちだ。ZEEBRAやKREVAにMummy-Dが今まで合作したアーティスとを挙げられるだけ挙げてみると、ドリカム、ドラゴンアッシュ、布袋寅泰、長渕剛、AI、安室奈美恵、SugarSoul、EXILE、May J、椎名林檎、などなど本当に様々な人とコラボしているわけだが、なかなか日の目を浴びることがない。
今回紹介する「はじまりの日」も、スガシカオがMummy-Dに熱烈なオファーをしたことから、実現することができたという経緯がある。しかしながら、この曲に対する評価はラップ肯定派と否定派に大きく分かれてしまう。スガシカオの今までの作品からいって、このタイミングでMummy-Dにオファーしたことは大正解だったのではないだろうか?Mummy-Dはマボロシの実績からも実力は折り紙つきである上に、スガシカオの作るメロディーはラップを合わせやすいシンプルな構造だからである。
この曲にラップはいらないという否定派は、少なくとも音楽通ではないし閉鎖的な今の日本音楽シーンの典型的なファンであるということがわかる。結局、その閉鎖的な状況を打破せずにいることで、似たようなバンドやアイドルの乱立がされ続け、個々での進化には限界が来てしまって、音楽離れが進んできてしまった。
この曲のラップのフィット具合は絶妙である。他のスガシカオの作品と比べても全く違和感が無く、Mummy-Dがスガシカオの世界観を壊さずに上手く溶け込んでいることがわかる。
大ベテランの仕事ぶりは相変わらず最高です。