日本の教育とヒップホップ
はじめに
この話題を本気で書くとなると、膨大な時間と知識量が必要になると共に、各方面からここが違うという物議が醸し出されるのは必至です。ブログ記事を10本書いても足りないくらいです。
この記事はあくまでも取っかかりの部分を書きたいと思います。長い長い論争になるかもしれないエピローグと思っていただければ幸いです。
ちなみに、僕は現役のラッパーでもなければ教育業界で働いているわけでもありません。なので、趣味以上オタク未満の人間が書いたということをご容赦ください。
- 詰め込み教育〜1977年の教育を受けたラッパー
- 1977〜1989年の教育を受けたラッパー
- 1989〜1998年の教育を受けたラッパー
- 1998〜2012年の教育を受けたラッパー
※“教育を受けた”=その当時に小中学校に在籍していた。
今回は定義が曖昧なので、代表して中間あたりをピックアップしていきたいと思います。例えば、⒉を話題に出すときは、1983年に12歳前後だった1971生まれの現在44歳前後のラッパーを挙げます。
あと、この論文も少し参考にしました。
http://www.kokugakuin.jp/tosho/kiyo/23kan/pdf/nozaki.pdf
では、そろそろ本題に入りましょうか。
詰め込み教育〜1977年の教育とヒップホップ
1977年までの教育は、詰め込み型の教育でした。
“〜1977年“としたのは後述との住み分けがしやすかったためであり、この時期が一番の詰め込み型の教育であったといえます。
詰め込み型の教育のメリットとデメリットは様々ありますが、大きなインパクトは、受験戦争の激化とそれに伴ういじめ問題の誕生や増加ではないでしょうか?
より多くの知識を習得させる授業内容、それを習得したかどうかを見て判断する受験、これらによってクラスの中や社会の中で“落ちこぼれ”というレッテルを貼られた人が生まれました。
この“落ちこぼれ”のレッテルは、いじめ問題や大人に反発する不良という存在の誕生にも関わっていきました。まさにヒップホップにとってはリリックの話題に事欠かない時代背景でした。しかし...まだこの時代は、アメリカですらヒップホップが産声を上げて数年経った程度で、日本ではヒップホップが生まれる片鱗すら見れませんでした。日本のロックも黎明期だったので、当時の若者はフォークソングに自身を映し出したのではないでしょうか。チューリップの心の旅とかいいですよね。
この時期の教育を受けてきたラッパーは数少ないですが、強いてあげるとしたらECDが妥当ですかね。ECDは日本のヒップホップの中でも黎明期から活躍しているラッパーで、近年では左翼色が強いのが残念ですが...。
ECDという人物は、個人というよりは社会や政治、日本語ラップシーン全体などを対象とした曲が多く、詰め込み教育で受験戦争の狭間で抱いた社会への不満やそういうものが根底にあるのではないでしょうか?
個人的なBEEF(相手を批判すること)が少ないのが特徴です。
(ECD)抜粋
延々々YOU DON'T STOP
95年なにが起きてんだ
一体なにが始まってんだ
あー今この時点 マス対コアならゲリラ戦
アンチJRAPここに宣言
マス対コア・・・
この曲は、当時「今夜はブギーバック」や「DA.YO.NE」などのPOPカルチャーとヒップホップをミックスしたような曲が数多くヒットし、それに続こうとする流れに対して異を唱えた作品です。抜粋したリリックを見てもらえらば分かりますが、特定の誰かを批判するのではなく、日本語ラップシーン全体(ここではスチャダラパーなどが牽引するオーバーグラウンド)に対して書いています。そして、この流れがさんピンCAMPまで続いていくわけです。それはまた別の記事で...
1977〜1989年の教育とヒップホップ
詰め込み教育が終わり、“ゆとり”の時代になりました。
僕も驚きましたが、ゆとり教育っていうのはこの年からはじまっていたんですね。
1977年に学習指導要領が改訂した時に、ゆとり教育の枠組みができたらしいです。
しかし、実際は上手く機能しなかったらしいです。
枠組みだけはできたけれども上手く機能せず、現場が混乱したことは必至でした。そして、その中で教育を受けた人たちとは、受験戦争の激化が鎮静することなく、しかし、学力だけではない違う評価基準を、という大きな転換期の真っ只中にいました。J-POPでは尾崎豊が流行った頃です。いかに、当時の若者が不安定でありたしかなものを求めていたか分かります。
そして、学校ではなく外部に居場所を求めて、不良グループや暴走族などのグループ化が発達していく中で、ヒップホップが好きでグループで活動していくことが増えていったのも特徴です。
この世代のラッパーをあげると枚挙に暇がないですが、主に代表的なK DUB SHINE、鬼、を挙げます。
挙げた理由としては、生い立ちが様々であり、今後も広げやすいからです。
まずは、K DUB SHINE。
渋谷生まれの渋谷育ち。
母子家庭やいじめの経験があり、自身の曲にも数多く取り入れています。そして、不良の道に入っていったり、アメリカでの留学を経て、ラッパーとして日本語で韻を踏む事を確立させて現在に至ります。特に、“本当あの頃が”では学校で先生からも目をつけられていた小学生時代の事や、“今なら”などの曲では母子家庭で貧乏だった境遇を事細かに綴っています。
渋谷という街で生まれ育ったとは思えないくらいに凄絶な幼少期を過ごしています。特に、社会派と呼ばれて久しい代表曲でもあるキングギドラ時代の“スタア誕生”や“ECDのロンリーガールfeat.K DUB SHINE”では、当時の少女が闇に堕ちていく過程を生々しく綴ったリリックが完成度の高いものになっており、日本のヒップホップでも社会派を確立させたキッカケになりました。
しかし、K DUB SHINEなどの年代のラッパー達は高学歴や中流階級以上の出身が多く、このような作品は数少ないです。この理由としては、ヒップホップが日本に浸透しておらず、当時は最先端のジャンルであったために、下流階級層には存在すらも認知されていなかった場合が多いからです。
裏渋谷ここらは地図には
入り組みすぎてて出てねえ実は
(狂気の桜/K DUB SHINE)
親子で2人六畳一間
誕生日やクリスマスの日とかも
狭くてうちには呼べない人は
風呂 クーラー 車も無くて
ホントなら生活保護確定で
どうみたってよそより貧乏
Verse2の抜粋ですが、渋谷生まれ渋谷育ちなのにこんななのか...とこの曲を聴いた時は衝撃を受けました。
次に、鬼。
小名浜出身。
鬼は78年生まれということもあり、ここにカテゴライズするのは正直悩みました。ANARCHYとかSHINGO☆西成とかも下流階級出身の似たような括りだし、78年式でいえば、般若、MACCHO、TOKONA-Xなど名実ともに兼ね備えたラッパーがいるんです。
少し話を脱線させます。
たぶん、78年生まれに名実共にジャンルの幅も広いラッパーが数多くいる理由というか原因の一つが、89年の学習指導要領の改訂による本格的なゆとり教育のはじまりによって、一気に教育の考え方が変わっていったことも背景としてあると思うんですよね。
89年の学習指導要領の改訂の背景には、少年犯罪や非行の増加もありました。少年犯罪の増加の根本的な解決ということで、心の教育という部分に重きを置くように方針が変わりました。
そんな激動の中で育ってきた78年生まれだからこそ、今こうしてラッパーとして活躍している人が多いのかもしれませんね。
さて、戻ります。
鬼も自身の曲の中で生い立ちを綴っており、獄中生活からラッパーとして立つまでのエピソードは決して明るいものではありません。小名浜という地方の小さな街から抜け出すために取った方法はヒップホップでした。ZEEBRAと出会いヒップホップに出会い、獄中生活でリリックを書き溜め、今では2度の服役を終えて一回りも二回りも大きくなっています。
鬼自身がいくつかのインタビューで、「ヒップホップをやっていなかったら、今頃の自分はシャブ中のホームレス」と自虐するように、アメリカのヒップホップと同じように成り上がるための手段としてのヒップホップを選択しました。
このようなラッパーが出てきたことは、日本のヒップホップシーンにとって大きな一歩でした。
この流れの先陣を切ったのは、漢を筆頭にしたグループのMSCで、それぞれが自身の凄絶な境遇を等身大のままラップしたことにより、日本に合ったゲットースタイルというものが確立していきました。これにより、環境に恵まれていないがマイク一本でヒップホップで成り上がっていくというものが実現していきました。
そして、この流れをさらに加速させるように様々なラッパーが自身の等身大を綴った曲が徐々に広がることとなりました。
もう一つここで大切なことがあります。
この年代のラッパーを中心に下流階級の出身が多い理由としては、インターネットの普及が挙げられます。一昔前のラッパーなどは、アメリカで流行っているが日本では無名であったヒップホップに出会える人たちは、上記で述べたように中流階級以上の人々でした。しかし、この年代のラッパー達は全くもって環境が違います。物心ついた時には、さんピンCAMPをはじめ日本のヒップホップシーンが盛り上がっており、インターネットなどの情報手段の成熟化によって、誰でも気軽にヒップホップというものに触れることができるようになりました。これにより日本のヒップホップというものが可能性を広げていくこととなり、若者の中にもヒップホップで稼ぐということが実現できる夢だと認知されるようになりました。
Verse1のリリックだけでも十分に伝わる生い立ち。少年少女の犯罪などから目を背けてばかりのくせに、日本の教育について語ろうとする教育者がいますが、そういう意味でも日本のヒップホップを聞くことでもそのような現実をきちんと見てほしいですね。部落育ち 団地の鍵っ子
駄菓子屋集合 近所のガキんちょ
ヤクザの倅か母子家庭
親父がいたのも七つの歳まで
二歳の妹がいようと死のうとするお袋に
「帰ろうよ。僕が守るから大丈夫」
光るタンカー埠頭の解放区
目まぐるしく変わる生活
決して贅沢なく 御馳走の絵描く
お袋は包丁 妹は泣きっ面
馬の骨の罵声はサディスティックだ
水商売 母一人子二人
薄暗い部屋で眺めた小遣い
馬の暴力は虐待と化す
十三の八月 何かが始まる
中学卒業も更正院
数年後には準構成員
旅打ちはまるで小名浜のカモメ
行ったり来たりが歩幅なのかもね
くじけた背中を洗うソープ嬢
泡と流す殺気立つ毒を
小名浜港は油で濁す
必要悪があくまで美徳
1989〜1998年の教育を受けたラッパー
まるでロボットの様にごもっともな意見しか言えないで眉間にシワを寄せているどこぞの彼奴等に操られ
ここぞという時にはコロッと状況を代えてしまう巧妙で陰険な人間に成りかねない焦燥に駆られる病状
このような少し哲学的なリリックが特徴的です。心に少し刺さるような苦みではなく甘さでもないような無味なものが心に残ります。
いつから見つからなくした絆や
一途な自ら静かなニルヴァナ
幾多の戦を経て見るからに傷だらけの真空管の中
青い悟り 謎に宿り籠に入れられた鳥は飛び
さあ来い便り 故郷にハーモニー運びあの日なぞり
とても綺麗です。
次はNORIKIYO。
神奈川県相模原市出身。
彼のヒップホップへの姿勢はとても真摯で常に新しい可能性を開拓しています。内容は過激的なものも数多く、年功序列などは全くなく良いものは良い悪いものは悪い、というものが根底にあるようなハッキリとした物言いが気持ち良いです。自分を否定することはなく、常に噛み付いてでも自分の立ち位置をハッキリさせていくスタイルは見ていて気持ち良いです。ZEEBRAとのBEEFも尊敬を忘れていない姿勢によって、ライムスターのPVにカメオ出演したり、きちんと自分の意志を貫くからこそ敵も味方もいます。
“自分自身”というものを小さい頃から評価されるようになり、“自分”というものを強く拘っているのも89年以降の教育を受けたラッパーの特徴として挙げられるのではないでしょうか?
ただ勉強を頑張っているだけでも先生や大人に評価されなくなっていった時代の中で育った彼らのリリックの内容は、時に深く、時に叙情的で、立ち止まって考えさせるような言葉が数多く点在します。
しこりはあれど 今なら話せる
振り返ってみればさ マジくだらねぇ
闇やら影の 手を取り逆手
「ありがとう」マジ俺は誰も恨んじゃいねぇ
他人のエゴや期待、世間体がさ
ソレがさ何してくれんだって?俺にさ
そもそも見えやしねぇしな形もねぇ
で、じっとおこぼれ待つの風下で?
自分は自分。未だに地元でスタイルを崩さず常に進化し続けるNORIKIYOの人間性が出ていますね。夜に口笛っていいですね。
一個 質問
幸せって何処?
それ見えねえと不安になる
なってんだけど何時なる
それよりみんなで感じ合う
気づけばそれは普段にある...
HOOK部分だけですが、結構刺さります。”幸せ”って何処にあるんですかね。というか、この頃から普通に学校を卒業して普通に結婚して普通に家庭を築くいて...というのが”普通なのか?”そして”幸せとはなんだ?”となっていきました。 幸せって見えないからこそ感じないとダメですね。
NORIKIYOの中でも少し哲学的な曲を紹介しました。
説明不要です。聞いてみてください。
1998〜2012年の教育を受けたラッパー
98年の学習指導要領の特徴として、学力よりも一人の人としての人間力の形成を重視しているように見受けられます。この結果、後の“学力低下”論争の話になっていき、ゆとりvs詰め込み教育の長きに渡る論争に続いていくのですが...。
2002年の学習指導要領では、これ以上の学力低下を食い止めることを暗に指示したものがありましたが、今回は特に分類することなく一緒にカテゴライズしてしまいました。
僕自身もこの年代の出身なので、色々と個人的な感情を書いてしまいそうです(笑)
この年代の教育の特徴としては、“The ゆとり教育”です。ゆとり教育を受けた若者が世の中に出ていき、その中で少数の非常識な若者を“ゆとり世代”と称して、マスメディアや詰め込み教育を受けた年代以上の人たちが、ゆとり教育を受けた人たちを批判するようになりました。
さらに、バブルの崩壊や終身雇用の終わりなど社会的にも見通しが悪くなるような出来事が多く起こりました。
これにより、この教育を受けた年代は、自己肯定感の低下や未来への期待度の低下など今でも話題に上がるような若者問題が深刻になっていきました。
一昔前ならば、大人たちが勝手に作ったゆとり教育を受けている自分たちを批判する大人たちを敵対視したり、フラストレーションを全力でぶつけたりしたと思いますが、そのようなパワーを持ち合わせていないのも特徴の一つです。
そして、大人や世間の不信感なのか自分たちのやり方はきっちりと貫き通すのも他の年代と少し特異的な部分です。ここは後で書きます。
この年代のラッパーとして、RAU DEFとKOHHを挙げます。
まずは、RAU DEF。
RAU DEFの特徴として、バイリンガルラップと英語のように日本語を歌うフロウによって、人によっては聞きづらいという意見もありますが、BUDDHA BRANDのDEV LARGEも同じようなスタイルで勝負し、それをさらに韻を踏むことを重視し内容もきちんと充実しているという点では、間違いなく日本のヒップホップシーンの新しい可能性を広げていったと言えるでしょう。
そして、世の中に対しての諦めを抱く一方で、自分のことは自分でやるしかない、というように自責の意識を持っているのが多いのもこの年代のラッパーの特徴です。良くも悪くもキッパリと諦めがついているので、あとは自分次第で何とかしなくちゃ、というメッセージ性が多いのもこの年代のラッパーの内容の特徴です。
*HOOK
長い通り雨何度やり過ごした
もう憂鬱な気持ちともおさらばさ
気に入らねえことが山程あって
目移りした 半ば諦めの安定
長い通り雨何度やり過ごした
もう憂鬱な気持ちともおさらばさ
誰に還元 俯いてガッデム!
行き場なくした 腹括ったアンセム
曲名を日本語で訳すと「愚かな選択、決定」となるんでしょうかね。選択肢が多い中で生まれ育ち、その中でも自分を信じてマイクを取った決意表明のような一曲です。
もう一曲はQNの客演ですが、とても良い味出しています。
全員がこの年代の出身かつ同じ頃に売れ出したこともあり、とても綺麗にまとまっています。自分の好きなものを自分の好きな仲間と自分に合ったペースでやっている感じが、とても印象的な世代ですね。
RAU DEFと言えば、僕の前回のブログでも書きましたが、ZEEBRAとのBEEFが有名です。このBEEFをせっかくなので改めて違う視点で書きたいと思います。
「あのBEEFは勝ち負けに重きを置いているわけではない」というのがRAU DEFの思惑ではないでしょうか?
なぜなら、そもそもこの年代のゆとり教育を受けた人たちは誰かと競争することを良しとせずに、全員が徒競走で一位だったり、全員が劇の主役であったり、ナンバーワンではなくてオンリーワンを刷り込まされた年代です。なので、「嫌いな誰かを批判するくらいなら好きな人と仲良くしていればいいや」という考え方を持った人たちが多く、いわゆる少人数のグループで常に活動して、それ以外とは関わりを持たないというのも特徴です。
だから、ヒップホップのBEEFという文化もあまり浸透しにくい上に、相手を批判するということをタブーとされてきた教育を受けたRAU DEFの年代は、BEEFだけを見ると悉く相手に玉砕されています。
なので、ZEEBRAvsRAU DEFの一件が、BEEFを通した壮大なプロモーションだとRAU DEFがTwitterで明かしたように、BEEFに対しての考え方も大きく変わってきています。
自分の目的のためには、自由な発想と常識を壊すことによって、それを実現していこうとします。プロモーションのために大ベテランを名指しで批判したり、Twitterで物事が進行していったり、新しい発想と現代のありとあらゆるツールを駆使して、自分の好きなように自分のスタイルで勝負していく、一言でまとめるとこんな感じですかね。
次に、KOHH。
在日韓国人で東京都北区の団地育ち。
KOHHは一つの文章をそのままビートに乗せてラップしたスタイルで、体言止めも英語を多用したバイリンガルラップをするわけでもない、新しいスタイルを確立しました。
“貧乏なんて気にしない”という曲でも顕著に表れているのが“自分は自分”“やりたいことをやる”という他人を気にしないで自由に生きたいという、“The ゆとり”といわれそうな内容の曲が多いです。
だから貧乏なんて気にしない
何もないところからここまで来たのも自分次第
でも周りの人達がいなけりゃ俺もここにいない
昔からよく言ってるお金よりも愛
分からない
とりあえず俺は貧乏なんて気にしない
貧乏なんて気にしない
東京北区の王子の団地育ちのKOHH。お金は無い方がいいって言ってるわけでもないし、お金なんてどうでもいいって言ってるわけでもない、貧乏でも仲間や周りがいることに対する感謝が伝わります。
結局見た目より中身
無理してカッコつけるのださいスグにバレる うん。やっぱり。他人の目なんかよりも中身を見ろ結局見た目より中身無理してカッコつけるのださいFUCK SWAGFUCK SWAG
他人の目を気にするな、というメッセージ性が強く反映されている気がします。誰かと比べるのではなく自分は自分だからこそ自分のカッコよさを極めろって言われてる気がします。誰かと比較することによって一番を目指すのではなく、誰かと比較することで自分の個性を尊重する、そんな教育を受けてきたからこそこのようなメッセージが多いのではないでしょうか?
最近のヒップホップシーンに多い流れとして、政治や政府に対しての巨大な組織に対しての批判も増えてきた一方で、KOHHなどの若手のラッパーは金、酒、女、車、スニーカー、などなど、自分の好きなものをラップするのが増えてきました。
これは、やはり勝ち負けなどの競争ではない、ナンバーワンからオンリーワンを教育として受けてきたからこそ、「自分は自分の好きなことをやろう」、「自分に合った仲間と楽しく過ごせばいいや」という楽観的な思考が増えたのではないでしょうか?
KOHHは攻撃的な部分もありますが、それは誰か特定の人物や具体的な例を出すわけではなく、考え方や流行などの不特定多数だけれども存在する大きな流れみたいなものに対しての発信が多いです。
最後に
最後の方は例のごとく力尽きてしまいましたし、本当に氷山の一角しか書いていないので、今後も少しずつここに書き足していこうと思います。
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