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光と影 照らされなかった者たち

ライトを浴びなかった者たち

 

く、「なんでそんなに物事に対してキッパリと諦めることができるの?」って聞かれる。その問いに返す言葉はいつも「いつまでも過去を振り返って過去に縛られているのは時間の無駄だから。そんなことに時間を割くよりも今や未来を見つめて行動するほうが楽しいから。」だ。

 

かし、口では簡単に言うことができるが実際にこの考え方を今すぐにやってみろ、というのはあまりにも厳しい。では、どうして僕自身がこの考え方に行き着いたのかをRYUZOの「HATE MY LIFE」を絡めながら、そのキッカケを振り返っていきたい。

 

RYUZOとは、京都出身のラッパーで古都京都からも発信できる土台を作った第一人者であり、TOKONA-XやOZROSAURUSとYOUNG GUNZを結成したり、R-RATED RECORDSを立ち上げたり、京都エリアのみならず全国区で活躍しているラッパーである。

 

んなRYUZOの書いたHATE MY LIFEでは、verse1、verse2、verse3でそれぞれ三者三様の”リアルな若者像”を描いている。しかし、ここで言う”リアルな若者像”とは、”マジョリティや平均的な若者”のことではなく”マイノリティであるが一定層は必ずいる”という意味で扱っていく。

 

Verse1では、高卒で土木系の仕事に就いた若い男を描いており、自分の道の選択の後悔が垣間見える。

 

朝の6時目覚ましに起こされ
眠たい目で作業着に着替え
缶コーヒー片手トラックに揺られ
朝帰りのギャルを眺める
泥だらけで昼の休憩
お洒落なランチはこれじゃきたねぇ
コンビニの飯とタバコでOK
待ち受け画面は愛しのBaby
クソな仕事で安い日当
家賃携帯電気にネット
合切払いペラペラの給料
服やデートの金はねーよ
大学出てりゃ違ってたかな
横にいる女も変わってたかな
ワンルームで缶ビール
お前の気持ちを俺がRhyme

 

自身の周りにもこのような人が多い。大学を目指すような高校には行けず、下から数えて何番目かの高校に進学し、進路はもちろん就職。このような時代なので、土木系ではなく介護福祉系の仕事に就くものが多く、高卒で働き始めて高校時代から付き合ってた彼女とでき婚して、子供と奥さんのために毎日キツい介護や福祉施設で働いている。このような人がいる。彼らは奥さんや子供と幸せだが、やはりふとした瞬間に「もしも...」というように後悔をしてしまうらしい。それでも彼らは前を向き今日も家族のためにお金を稼いでいる。それしか選択肢が無いからだ。そんな彼らの姿を見てきた。

 

Verse2では、夜の仕事をしているシングルマザーを描いている。

 

お酒くさいママでごめんね
化粧落とし送る保育園
シングルマザーももう3年目
いいともまでは少しおねんね
起きて買い物洗濯掃除
夕食だけは作る手料理
少し遅れてお迎えに
泣きべそかいてるあたしのBaby
夜ごはんだけが家族の団欒
洗い物したら化粧の時間
あとはよろしく若いおばあちゃん
あのこが言うの ママきれいじゃん
今夜も消えるネオン街
さみしくないけどたまには誰かに甘えたい
ならハニー番号は変わってない

 

の同級生のシングルマザーも似たようなものだ。でき婚から数年も経たないうちに互いの価値観の違いから離婚という道を選び、子供も結局は一人で面倒を見ることになった。子供を保育園に送った後に自分はカラオケのバイトに行く。保育園のお迎えには間に合わないので自分の母親に任せる。若くしておばあちゃんになった母親は、とても協力的で意外と子供も文句を言わずに生活が回っている。シングルマザーというものは、やはり未だに世間からの風当たりも強く、ツラいことも沢山あったということだ。まさに、”誰かに甘えたい”という部分は心からの叫びに近いものなのではないだろうか。一人で頑張っているけれど、母親も協力してくれるけれど、それでもやっぱり甘えたい。そんな思いを今日も胸にバイトに行く。そんな同級生と歌詞が重なる。

 

ここまでは、前座だ。

たしかに彼らからも多くのことを学んだ。しかし、もっとも残酷なものが最後のverse3だ。このverse3こそが今回の言いたいことのほとんどを占めている。

 

Verse3では、夢追って上京したものの現実に破られた若者を描いている。

 

憧れ続けた華の東京
さよなら告げ泣いてた彼女
書き置き残し親には内緒
連れに大口叩いて上京
夢はDJで有名に
モデルを連れて里帰り
現実は深夜コンビニのレジ
どこにいんだよモデルのBaby
最初は毎晩通ったクラブ
雨でも外でフライヤー配る
音楽よりも人を呼ぶ数や
コネが勝る世界にクラう
ほこり被ったターンテーブル
返信がこない彼女へのメール
田舎の家族思い出し眠る
スピーカーからは俺が流れる

 

も数多くのラッパーを見てきたが、ステージに上がり集客できるラッパーなんて10%もいないと思う。ほとんどの奴らが、自分の実力や才能や複雑で薄汚い世界を直視させられ夢を諦めなければいけなくなる。そこに情けはない。なぜなら、才能で金を稼ぐ仕事であり努力が必ずしも報われる世界ではないから。頑張っていても集客できず金を稼げなければ認められない。そして、夢に破れた者達の行き着く先は2パターンある。それが①いつまでも過去の思い出に縋り現実を認めない者②新しく自分の行く道を見つめ行動する者、の2パターンだ。

 

のパターンの人間は本当に最悪だ。生産性が無い上に年齢だけが積み重なっていき、自分の人生の選択肢を自分の手で断ち切ってしまう。過去の栄光に縋り続け、今や未来を見なかった代償はとても大きい。

 

のパターンの人間は救いようがある。なぜなら、また違う道に向かって突き進むことができるからだ。夢に破れたという事実も選択肢を潰すことができて良かったといい、肯定的に捉えることにより次への原動力としている。

 

く敗者など存在しない。本当の敗者は、輝くステージにすら上がることができずに終わるからだ。現実は残酷だ。すべてを捨て、夢を追う。夢を追うことの素晴らしさを説き、夢を追う者を応援する人たちは数多くいる。しかし、夢に破れた場合のリスクをきちんと併せて伝えている人はそのうちの何割だろうか?決して大多数ではないはずだ。

 

夢のために人生をどこまで捨てることができるか?

 

覚悟がない者に夢を追う資格はない。

これだけはハッキリと自信を持って言える。

 

端だが、「その夢に命を懸ける覚悟はあるのか?」という問いに対して「ある」と答えられるかどうかが大切なことだ。僕自身も中学時代にはこの問いにハッキリと「ある」と答えられた。しかし、数年経ったある日、その答えが「ない...」になってしまった。それは、やはり覚悟が足りなかったからだ。これ以上続けて人生を棒に振った時のリスクを考えた時に、そこまでのリスクを取ってまで夢を追い続ける自信が無かった。つまり、僕自身も敗北者だ。

 

かし、僕は②の敗北者だ。自分の人生の敗北者にはなっていないと信じている。だからこそ、自分の人生が楽しくて仕方がない。その時々の環境で最高のパフォーマンスを心がけている。後悔をする暇がないくらいに人生を楽しさで埋めている。

 

を追う素晴らしさも夢に破れる厳しさも知っている僕だからこそ言える、「夢を追うことは素晴らしい」、しかし、それは「夢を叶えること」が素晴らしいのではなく、「覚悟を持って夢に向かって全力で走っている姿」が素晴らしいだけだ。覚悟無しで夢を追う者は自分の人生を棒に振る可能性がある。

 

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