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映画『STRAIGHT OUTTA COMPTON』ヒップホップ映画の良作

スターウォーズ エピソードⅦ』の陰でもう一つの傑作が公開されました。

 

実は、僕はこの映画の日本公開希望の署名にも参加しました。それだけの価値があったと自信を持って言える作品であったと同時に、老若男女を問わず是非とも映画館に足を運んでいただきたいと思いまして、今日は映画『STRAIGHT OUTTA COMPTON(邦題:ストレイト・アウタ・コンプトン)』を観た感想について書きたいと思います。

 

※これはネタバレではありません。

予告編やネットでググれば分かる程度のネタバレはありますが...。

 

この映画は、ギャングスタラップを確立させて社会現象を巻き起こしたN.W.Aというヒップホップグループの伝記映画という位置付けになっています。彼らの結成から別れまでをテンポよく要所要所をきちんとおさえている点で、今までのEminemの8mileなどのヒップホップアーティストの自伝映画よりも濃く深い内容になっていました。

 

しかしながら、ギャングやドラッグの過激な内容の詞、『Fuck The Police』などの政府や警察への権力に対する反発、などなどN.W.Aのそのままを切り取ったためにこの映画の過激さを危惧したこと、日本ではヒップホップがアメリカほど定着していないこと、これまでのヒップホップアーティストの伝記映画が日本ではヒットしなかったこと、これらのせいで日本では当初は日本の公開予定は全くありませんでした。しかし、この映画はそれらの問題を微塵も感じさせないほどの感動ありの傑作になっていました。

 

N.W.Aとは?

 

Niggaz With Attitude『態度のデカい、ゴロツキの、極悪の、黒人たち』の略であり、当初は5人のメンバーでした。

youtu.be

 

youtu.be

 

ロサンゼルスのコンプトンという平均寿命38歳といわれていた街で育った彼らのありのままが描かれています。カリスマ性のあったEAZY-E、若くして天才的な作詞家であったICE CUBE、後にWEST COASTを代表するDr.DRE、この映画はそんな彼らの人生の中での「N.W.A」という一部分を切り取ってくれただけです。その切り取ってくれただけが大ヒットした要因なんです。

 

この映画は嘘偽りの無い真実の物語です。

警察への不満を募らせた『Fuck The Police』やギャングスタラップを確立したEAZY-E名義の『Boyz'N' The Hood』などの名曲をはじめ、後半ではDREの育て上げた大物アーティストも出てくるという豪華な仕上がりです。

 

ヒップホップを聞かない人やヒップホップに嫌悪感を抱いている人にこそ観てほしいです。

 

なぜ、ギャングスタラップが生まれたのか?

ヒップホップとは?

若き5人を翻弄する様々な問題

これらが複雑かつ忠実に描かれています。

 

この映画から学んだこと

 
僕がこの映画から学んだことは、ただ一つだけです。
 
それは、
『ヒップホップ=日常』
ということです。
 
彼らはギャングスタラップ(ギャングやドラッグなどを推奨したりラップすること)を確立したくて、ラップしたわけではありません。
 
彼らの日常を切り取ってラップした結果が、ギャングスタラップだったというわけです。
 
 
日本のヒップホップシーンでも、技術的にも低く全くカッコよくないラップ(僕は本当にそういうラップ嫌いなんですが...笑)でも、リスナーは「これこそヒップホップだ。」ということが多々あります。それはきっと、「日常のありのままを等身大を綴っているからなんだ。」と今なら理解できます。
 
日本のヒップホップがダサいと言われた理由も自分が嫌いなアーティストがいる理由も何となく言語化できました。現実(リアル)を綴っているかどうかがヒップホップの分かれ目であるのではないかと思います。
 
しかし、それは自叙伝をラップしろということではありません
あくまでも自分が感じ取ったことをラップすることが大切なのです。
 
ICE CUBEもEAZY-Eもコンプトンで生まれ育ったからこそ、そこの日常で感じ取ったことをラップしたからギャングスタラップが生まれただけです。これが他の地域で生まれ育ったならギャングスタラップは生まれませんでした。
 
「ヒップホップ=土着文化」というのは僕の持論ですが、これはこの映画でも証明されたような気がしました。
 
その土地にはその土地のラップが生まれる。
 

日本のヒップホップの今後

 

「ヒップホップ=土着文化」であるということが十分に分かった上で、今後の日本のヒップホップシーンの更なる発展のために必要なものは「自分たちの日常を忠実に切り取ること」これに尽きると思いました。
 
僕はZEEBRAが好きですが、「Neva Enuff」や「城南ハスラー」などのハードコア(ギャングスタと似たような傾向、不良文化を綴ったり暴力賛美に近いような表現などもある)路線はZEEBRAのありのままではないような気がしてずっと嫌いでした。慶応幼稚舎から高等部中途退学の経歴の人間に銃とかの話をされても現実(リアル)と乖離しているようで受け入れがたいものがありました。それよりも「Slow Down」や「運命」などの自身がラッパーになるまでとラッパー生活を綴ったほうが個人的には聞いてて違和感なく受け入れることができました。
 
日本のギャングスタラップは、GANXTA D.X(現GDX)や漢にANARCHYによって、日本の日常に存在するものを切り取ったラップというものを崩さずに確立させることに成功してきました。
 
ギャングスタラップも含めて、日本人らしいラップを追求していくことが今後のカギなのではないでしょうか?
 
本場アメリカを追い越そうとするのではなく、現実(リアル)を伝えるという本質を見失わず自分たちの感じたことを伝えていくことが大切ですね。
 

最後に

この映画を全ての人にオススメします。
 
このブログは日本語ラップ好きを広めたいというのがコンセプトにあるので、どうしてもヒップホップに寄りがちですが、この映画は『当時の社会問題への提起と人間臭いドラマが、ヒップホップというものを通じて描かれている』とまとめることもできます。
 
全てがリアル。
全てが感動。
あっという間の2時間半。
I'm straight outta LOCOHAMA.
 

youtu.be

 

 

 

 

youtu.be

ヒップホップに魅了された者だけれども...

フリースタイルとは?

ヒップホップのコンテンツの一つにフリースタイルというものがある。ビートに乗せて即興でラップをして、どちらがより上手いラップをできたかを競うシンプルなゲーム。

 

元々、アメリカではギャングの抗争にフリースタイルのラップやダンスを取り入れたりした歴史もあるもので、日本では日本のヒップホップの発展とともにフリースタイルバトルも発展していきました。

 

ここ10年間で一気にレベルが高くなり、プロやアマを問わずフリースタイルは活気付いています。UMBのフリースタイルバトルでのKREVAの前人未到の3連覇も半ば伝説と化してます。

 

そんな中、フリースタイルダンジョンという番組では、5人のモンスターを相手に挑戦者が次々と勝負を挑んでいくという分かりやすいスタイルです。リリックとトラックが字幕で確認できるので、ヒップホップを知らない人にも分かりやすいと思います。

 

まずはこの映像を見てください。

youtu.be

 

僕も映像見て泣きました。

Lilyのコメントと殆ど同じ理由で泣きました。

 

焚巻が「フリースタイルダンジョン俺はしてる 朝バイト 夜にフライトするためにやりだす バイト自体じゃ生き残れない」と、今の自分の生活の辛さ夢へと頑張っていることをラップし、“夢と現実のギャップに苦しみながらも夢を諦めずにがむしゃらにやっているんだ”ということを般若に向けて気持ち良く言葉にして放ちました。

 

すると般若は、「俺はバイトじゃない ヒップホップに就職 女だったらとっくにやってる風俗」と、般若も自身の曲や客演で過去の自分はバイトしながらリリックを書き溜めてラッパーを目指していたことを明かしている上で、それを踏まえて“俺は今はバイトをしないでヒップホップで生きている。お前と同じ苦しみを乗り越えて俺は今もヒップホップを続けている”と挑戦者の焚巻に対してアンサーを返しました。ここで誤解してほしくないのは、「女だったらとっくにやってる風俗という部分は、風俗で働いている女性やラッパーを目指している女性をはじめとする女性軽視の発言ではなく、“ヒップホップを諦めて他の選択肢を取ることもできたけれども、俺は諦めないでずっとヒップホップを続けてきたんだ”ということを伝えたかったんだと思います。

 

【夢追う焚巻vs夢の中を走り続ける般若】

 

これが全てではないでしょうか。 

 

なぜ、僕は泣いたのか?

少し僕自身の話をします。

 

僕は中学生の頃にフリースタイルを含めてヒップホップにハマりました。自分もいつかLIBROみたいなラッパーになりたいと思い、毎日フリースタイルの練習してチャンスを掴んだらクラブでもネット上でもラップしまくる、そんな中学生時代を誰にも言わずに送っていました。

 

ヒップホップにハマればハマるほど、周りに自分のやっていることを言えませんでした。

 

夢や志半ばで散っていった先輩や仲間を見ていたので、周りに自分のやっていることを言いふらして、ずっと続けているのにいつまで経っても売れない自分を見られたくなかったからです。

 

だから、授業中にノートの隅にリリックを書き溜めたり、パソコンでWordを使ってリリックを書き溜めたりしましたが、いつも絶対に周囲に見られないように神経を尖らせていました。周りに言ったとしても「趣味程度にやってるんだー。」と冗談交じりに濁していました。決して「ラッパーになりたい。」なんて思っていても言えませんでした。

 

そんな感じで中学生も終わり、高校に入ると部活や日々の生活で忙しくヒップホップに割く時間はどんどん減っていきました。

 

そして、僕は大学生になり、中学生時代のヒップホップ仲間はみんな消えていなくなりました。

 

僕自身もそれを見て“ヒップホップで生きていく”という選択肢を自らの手で握り潰しました。

 

理由は、ただ一つ。

“怖かったから”

 

しかし、ラッパーになるという選択肢を捨てましたが、自己満足に浸りたいのともっとみんなに日本のヒップホップの良さを知ってほしかったので、リリックを書き溜めたりこうやってブログで色々と試したりしました。自分より若手のラッパーを見つけると羨ましくも悔しくもありました。

 

そうやって毎日を過ごしていた中で、今回のこのフリースタイルダンジョンに遭遇しました。

 

焚巻俺はバイトしながらヒップホップへの憧れを諦めてない」という部分に、周りの誰にも言えずに、何回も壁にぶつかりながら試行錯誤をしてラップを考えて、憧れに少しでも近づきたくて苦しんだり、たまに自分の中でカッコよく韻踏むことができたり、フリースタイルできてめっちゃ喜んだ自分を思い出して般若の「俺はヒップホップに就職 女だったらとっくにやってる風俗」という部分に、夢や志半ばで散った周囲や自分の弱さを感じ、諦めた自分自身に対して悔しくて悲しくて、ただ純粋にヒップホップが大好きでラッパーを目指していた自分を思い出して、気づいたら涙がボロボロと出ていました。

 

どれだけ勝ち続けることが難しいか。

立ち続けることがどれだけ大変なことか。

 

悔しさと悲しさで心がいっぱいになりました。

逃げた自分の弱さに腹が立ちました。

 

この映像を通して、夢を本気で追いかけてから諦めた自分が蘇りました、こんなに詳しくは誰にも言っていなかったけれど、この映像見たら悔しすぎて発散したかったので、書きました。

 

夢っていいよね。

日本の教育とヒップホップ

 

はじめに 

この話題を本気で書くとなると、膨大な時間と知識量が必要になると共に、各方面からここが違うという物議が醸し出されるのは必至です。ブログ記事を10本書いても足りないくらいです。

 

この記事はあくまでも取っかかりの部分を書きたいと思います。長い長い論争になるかもしれないエピローグと思っていただければ幸いです。

 

ちなみに、僕は現役のラッパーでもなければ教育業界で働いているわけでもありません。なので、趣味以上オタク未満の人間が書いたということをご容赦ください。

 

  1.  詰め込み教育〜1977年の教育を受けたラッパー
  2. 1977〜1989年の教育を受けたラッパー
  3. 1989〜1998年の教育を受けたラッパー
  4. 1998〜2012年の教育を受けたラッパー

※“教育を受けた”=その当時に小中学校に在籍していた。

今回は定義が曖昧なので、代表して中間あたりをピックアップしていきたいと思います。例えば、⒉を話題に出すときは、1983年に12歳前後だった1971生まれの現在44歳前後のラッパーを挙げます。

 

あと、この論文も少し参考にしました。

http://www.kokugakuin.jp/tosho/kiyo/23kan/pdf/nozaki.pdf

 

では、そろそろ本題に入りましょうか。

 

 

詰め込み教育〜1977年の教育とヒップホップ

 

1977年までの教育は、詰め込み型の教育でした。

“〜1977年“としたのは後述との住み分けがしやすかったためであり、この時期が一番の詰め込み型の教育であったといえます。

 

詰め込み型の教育のメリットとデメリットは様々ありますが、大きなインパクトは、受験戦争の激化それに伴ういじめ問題の誕生や増加ではないでしょうか?

 

より多くの知識を習得させる授業内容、それを習得したかどうかを見て判断する受験、これらによってクラスの中や社会の中で“落ちこぼれ”というレッテルを貼られた人が生まれました。

 

この“落ちこぼれ”のレッテルは、いじめ問題や大人に反発する不良という存在の誕生にも関わっていきました。まさにヒップホップにとってはリリックの話題に事欠かない時代背景でした。しかし...まだこの時代は、アメリカですらヒップホップが産声を上げて数年経った程度で、日本ではヒップホップが生まれる片鱗すら見れませんでした。日本のロックも黎明期だったので、当時の若者はフォークソングに自身を映し出したのではないでしょうか。チューリップの心の旅とかいいですよね。

 

この時期の教育を受けてきたラッパーは数少ないですが、強いてあげるとしたらECDが妥当ですかね。ECDは日本のヒップホップの中でも黎明期から活躍しているラッパーで、近年では左翼色が強いのが残念ですが...。

 

ECDという人物は、個人というよりは社会や政治、日本語ラップシーン全体などを対象とした曲が多く、詰め込み教育で受験戦争の狭間で抱いた社会への不満やそういうものが根底にあるのではないでしょうか?

 

個人的なBEEF(相手を批判すること)が少ないのが特徴です。

 

youtu.be

 

 (ECD)抜粋
延々々YOU DON'T STOP
95年なにが起きてんだ
一体なにが始まってんだ
あー今この時点 マス対コアならゲリラ戦
アンチJRAPここに宣言
マス対コア・・・

この曲は、当時「今夜はブギーバック」や「DA.YO.NE」などのPOPカルチャーとヒップホップをミックスしたような曲が数多くヒットし、それに続こうとする流れに対して異を唱えた作品です。抜粋したリリックを見てもらえらば分かりますが、特定の誰かを批判するのではなく、日本語ラップシーン全体(ここではスチャダラパーなどが牽引するオーバーグラウンド)に対して書いています。そして、この流れがさんピンCAMPまで続いていくわけです。それはまた別の記事で...

 

 

youtu.be

  

1977〜1989年の教育とヒップホップ

 

詰め込み教育が終わり、“ゆとり”の時代になりました。

僕も驚きましたが、ゆとり教育っていうのはこの年からはじまっていたんですね。

1977年に学習指導要領が改訂した時に、ゆとり教育の枠組みができたらしいです。

しかし、実際は上手く機能しなかったらしいです。

 

枠組みだけはできたけれども上手く機能せず、現場が混乱したことは必至でした。そして、その中で教育を受けた人たちとは、受験戦争の激化が鎮静することなく、しかし、学力だけではない違う評価基準を、という大きな転換期の真っ只中にいました。J-POPでは尾崎豊が流行った頃です。いかに、当時の若者が不安定でありたしかなものを求めていたか分かります。

 

そして、学校ではなく外部に居場所を求めて、不良グループや暴走族などのグループ化が発達していく中で、ヒップホップが好きでグループで活動していくことが増えていったのも特徴です。

 

この世代のラッパーをあげると枚挙に暇がないですが、主に代表的なK DUB SHINE、鬼、を挙げます。

 

挙げた理由としては、生い立ちが様々であり、今後も広げやすいからです。

 

まずは、K DUB SHINE

渋谷生まれの渋谷育ち。

母子家庭やいじめの経験があり、自身の曲にも数多く取り入れています。そして、不良の道に入っていったり、アメリカでの留学を経て、ラッパーとして日本語で韻を踏む事を確立させて現在に至ります。特に、“本当あの頃が”では学校で先生からも目をつけられていた小学生時代の事や、“今なら”などの曲では母子家庭で貧乏だった境遇を事細かに綴っています。

 

渋谷という街で生まれ育ったとは思えないくらいに凄絶な幼少期を過ごしています。特に、社会派と呼ばれて久しい代表曲でもあるキングギドラ時代の“スタア誕生”や“ECDのロンリーガールfeat.K DUB SHINE”では、当時の少女が闇に堕ちていく過程を生々しく綴ったリリックが完成度の高いものになっており、日本のヒップホップでも社会派を確立させたキッカケになりました。

 

しかし、K DUB SHINEなどの年代のラッパー達は高学歴や中流階級以上の出身が多く、このような作品は数少ないです。この理由としては、ヒップホップが日本に浸透しておらず、当時は最先端のジャンルであったために、下流階級層には存在すらも認知されていなかった場合が多いからです。

 

裏渋谷ここらは地図には

入り組みすぎてて出てねえ実は

(狂気の桜/K DUB SHINE)

 

 

youtu.be

 

親子で2人六畳一間 

誕生日やクリスマスの日とかも

狭くてうちには呼べない人は 

風呂 クーラー 車も無くて

ホントなら生活保護確定で 

どうみたってよそより貧乏

 

Verse2の抜粋ですが、渋谷生まれ渋谷育ちなのにこんななのか...とこの曲を聴いた時は衝撃を受けました。

 

次に、

小名浜出身。

 

鬼は78年生まれということもあり、ここにカテゴライズするのは正直悩みました。ANARCHYとかSHINGO☆西成とかも下流階級出身の似たような括りだし、78年式でいえば、般若、MACCHO、TOKONA-Xなど名実ともに兼ね備えたラッパーがいるんです。

 

少し話を脱線させます。

たぶん、78年生まれに名実共にジャンルの幅も広いラッパーが数多くいる理由というか原因の一つが、89年の学習指導要領の改訂による本格的なゆとり教育のはじまりによって、一気に教育の考え方が変わっていったことも背景としてあると思うんですよね。

 

89年の学習指導要領の改訂の背景には、少年犯罪や非行の増加もありました。少年犯罪の増加の根本的な解決ということで、心の教育という部分に重きを置くように方針が変わりました。

 

そんな激動の中で育ってきた78年生まれだからこそ、今こうしてラッパーとして活躍している人が多いのかもしれませんね。

 

さて、戻ります。

 

も自身の曲の中で生い立ちを綴っており、獄中生活からラッパーとして立つまでのエピソードは決して明るいものではありません。小名浜という地方の小さな街から抜け出すために取った方法はヒップホップでした。ZEEBRAと出会いヒップホップに出会い、獄中生活でリリックを書き溜め、今では2度の服役を終えて一回りも二回りも大きくなっています。

 

鬼自身がいくつかのインタビューで、「ヒップホップをやっていなかったら、今頃の自分はシャブ中のホームレス」と自虐するように、アメリカのヒップホップと同じように成り上がるための手段としてのヒップホップを選択しました。

 

このようなラッパーが出てきたことは、日本のヒップホップシーンにとって大きな一歩でした。

 

この流れの先陣を切ったのは、を筆頭にしたグループのMSCで、それぞれが自身の凄絶な境遇を等身大のままラップしたことにより、日本に合ったゲットースタイルというものが確立していきました。これにより、環境に恵まれていないがマイク一本でヒップホップで成り上がっていくというものが実現していきました。

 

そして、この流れをさらに加速させるように様々なラッパーが自身の等身大を綴った曲が徐々に広がることとなりました。

 

もう一つここで大切なことがあります。

この年代のラッパーを中心に下流階級の出身が多い理由としては、インターネットの普及が挙げられます。一昔前のラッパーなどは、アメリカで流行っているが日本では無名であったヒップホップに出会える人たちは、上記で述べたように中流階級以上の人々でした。しかし、この年代のラッパー達は全くもって環境が違います。物心ついた時には、さんピンCAMPをはじめ日本のヒップホップシーンが盛り上がっており、インターネットなどの情報手段の成熟化によって、誰でも気軽にヒップホップというものに触れることができるようになりました。これにより日本のヒップホップというものが可能性を広げていくこととなり、若者の中にもヒップホップで稼ぐということが実現できる夢だと認知されるようになりました。

 

youtu.be

 

部落育ち 団地の鍵っ子
駄菓子屋集合 近所のガキんちょ
ヤクザの倅か母子家庭
親父がいたのも七つの歳まで
二歳の妹がいようと死のうとするお袋に
「帰ろうよ。僕が守るから大丈夫」
光るタンカー埠頭の解放区
目まぐるしく変わる生活
決して贅沢なく 御馳走の絵描く
お袋は包丁 妹は泣きっ面
馬の骨の罵声はサディスティックだ
水商売 母一人子二人
薄暗い部屋で眺めた小遣い
馬の暴力は虐待と化す
十三の八月 何かが始まる
中学卒業も更正院
数年後には準構成員
旅打ちはまるで小名浜のカモメ
行ったり来たりが歩幅なのかもね
くじけた背中を洗うソープ嬢
泡と流す殺気立つ毒を
小名浜港は油で濁す
必要悪があくまで美徳

Verse1のリリックだけでも十分に伝わる生い立ち。少年少女の犯罪などから目を背けてばかりのくせに、日本の教育について語ろうとする教育者がいますが、そういう意味でも日本のヒップホップを聞くことでもそのような現実をきちんと見てほしいですね。 

 

1989〜1998年の教育を受けたラッパー

この頃の教育の特徴としては、ゆとり路線を継続している感じですよね。学力だけではない相対評価から絶対評価へとシフトしていきました。しかし、低偏差値校を中心にいじめ問題や少年犯罪も横行していました。新しい試みを多く導入したことからも、当時の教育方針や教育スタイルの限界を感じていたのではないでしょうか?
 
この頃の教育を受けたラッパーとして、志人NORIKIYO、を挙げたいと思います。2人とも詩的な表現が多く、内容も哲学的なことを多く含んでいます。自分自身を見つめたり、日常生活のワンシーンを切り取って別の視点から捉えるような内容の作品が多く、従来の価値観や考え方をそのまま捉えるだけではない、“新しさ”を求めているような気がします。
 
まずは、志人(シビット)
 
降神の2MCの1人として活動しソロでも活動の幅が広いオールマイティなラッパー。ヒップホップを手段として、様々なものを独自の視点と独特な言い回しで捉えることにより、唯一無二の世界観を作り上げるのが特徴です。早稲田大学の出身ですが、ラッパーの道を選んだということで、学歴ではなく自分自身のやりたい道を歩んでいくという点も、ゆとり教育の代名詞に近いものがありますよね。
 

 

まるでロボットの様にごもっともな意見しか言えないで
眉間にシワを寄せているどこぞの­彼奴等に操られ
ここぞという時にはコロッと状況を代えてしまう
巧妙で陰険な人間に成りかねない焦燥に­駆られる病状

 このような少し哲学的なリリックが特徴的です。心に少し刺さるような苦みではなく甘さでもないような無味なものが心に残ります。

 

youtu.be

 

いつから見つからなくした絆や

一途な自ら静かなニルヴァナ
幾多の戦を経て見るからに 

傷だらけの真空管の中
青い悟り 謎に宿り 

籠に入れられた鳥は飛び
さあ来い便り 故郷にハーモニー運び 

あの日なぞり

とても綺麗です。

 

次はNORIKIYO。 

神奈川県相模原市出身。

彼のヒップホップへの姿勢はとても真摯で常に新しい可能性を開拓しています。内容は過激的なものも数多く、年功序列などは全くなく良いものは良い悪いものは悪い、というものが根底にあるようなハッキリとした物言いが気持ち良いです。自分を否定することはなく、常に噛み付いてでも自分の立ち位置をハッキリさせていくスタイルは見ていて気持ち良いです。ZEEBRAとのBEEFも尊敬を忘れていない姿勢によって、ライムスターのPVにカメオ出演したり、きちんと自分の意志を貫くからこそ敵も味方もいます。

“自分自身”というものを小さい頃から評価されるようになり、“自分”というものを強く拘っているのも89年以降の教育を受けたラッパーの特徴として挙げられるのではないでしょうか?

ただ勉強を頑張っているだけでも先生や大人に評価されなくなっていった時代の中で育った彼らのリリックの内容は、時に深く、時に叙情的で、立ち止まって考えさせるような言葉が数多く点在します。

 

youtu.be

 

しこりはあれど 今なら話せる 

振り返ってみればさ マジくだらねぇ

闇やら影の 手を取り逆手 

「ありがとう」マジ俺は誰も恨んじゃいねぇ 

他人のエゴや期待、世間体がさ

ソレがさ何してくれんだって?俺にさ

そもそも見えやしねぇしな形もねぇ 

で、じっとおこぼれ待つの風下で?

自分は自分。未だに地元でスタイルを崩さず常に進化し続けるNORIKIYOの人間性が出ていますね。夜に口笛っていいですね。

 

youtu.be

 

一個 質問 

幸せって何処?

それ見えねえと不安になる

なってんだけど何時なる

それよりみんなで感じ合う

気づけばそれは普段にある...

HOOK部分だけですが、結構刺さります。”幸せ”って何処にあるんですかね。というか、この頃から普通に学校を卒業して普通に結婚して普通に家庭を築くいて...というのが”普通なのか?”そして”幸せとはなんだ?”となっていきました。 幸せって見えないからこそ感じないとダメですね。

 

NORIKIYOの中でも少し哲学的な曲を紹介しました。

説明不要です。聞いてみてください。

 

 

1998〜2012年の教育を受けたラッパー

98年の学習指導要領の特徴として、学力よりも一人の人としての人間力の形成を重視しているように見受けられます。この結果、後の“学力低下”論争の話になっていき、ゆとりvs詰め込み教育の長きに渡る論争に続いていくのですが...。

 

2002年の学習指導要領では、これ以上の学力低下を食い止めることを暗に指示したものがありましたが、今回は特に分類することなく一緒にカテゴライズしてしまいました。

 

僕自身もこの年代の出身なので、色々と個人的な感情を書いてしまいそうです(笑) 

 

この年代の教育の特徴としては、“The ゆとり教育”です。ゆとり教育を受けた若者が世の中に出ていき、その中で少数の非常識な若者を“ゆとり世代”と称して、マスメディアや詰め込み教育を受けた年代以上の人たちが、ゆとり教育を受けた人たちを批判するようになりました。

 

さらに、バブルの崩壊や終身雇用の終わりなど社会的にも見通しが悪くなるような出来事が多く起こりました。

 

これにより、この教育を受けた年代は、自己肯定感の低下や未来への期待度の低下など今でも話題に上がるような若者問題が深刻になっていきました。

 

一昔前ならば、大人たちが勝手に作ったゆとり教育を受けている自分たちを批判する大人たちを敵対視したり、フラストレーションを全力でぶつけたりしたと思いますが、そのようなパワーを持ち合わせていないのも特徴の一つです。

 

そして、大人や世間の不信感なのか自分たちのやり方はきっちりと貫き通すのも他の年代と少し特異的な部分です。ここは後で書きます。

 

この年代のラッパーとして、RAU DEFKOHHを挙げます。

 

まずは、RAU DEF。 

RAU DEFの特徴として、バイリンガルラップと英語のように日本語を歌うフロウによって、人によっては聞きづらいという意見もありますが、BUDDHA BRANDDEV LARGEも同じようなスタイルで勝負し、それをさらに韻を踏むことを重視し内容もきちんと充実しているという点では、間違いなく日本のヒップホップシーンの新しい可能性を広げていったと言えるでしょう。

 

そして、世の中に対しての諦めを抱く一方で、自分のことは自分でやるしかない、というように自責の意識を持っているのが多いのもこの年代のラッパーの特徴です。良くも悪くもキッパリと諦めがついているので、あとは自分次第で何とかしなくちゃ、というメッセージ性が多いのもこの年代のラッパーの内容の特徴です。

 

youtu.be

 

*HOOK

長い通り雨何度やり過ごした
もう憂鬱な気持ちともおさらばさ
気に入らねえことが山程あって
目移りした 半ば諦めの安定
長い通り雨何度やり過ごした
もう憂鬱な気持ちともおさらばさ
誰に還元 俯いてガッデム!
行き場なくした 腹括ったアンセム

 曲名を日本語で訳すと「愚かな選択、決定」となるんでしょうかね。選択肢が多い中で生まれ育ち、その中でも自分を信じてマイクを取った決意表明のような一曲です。

 

 

もう一曲はQNの客演ですが、とても良い味出しています。

全員がこの年代の出身かつ同じ頃に売れ出したこともあり、とても綺麗にまとまっています。自分の好きなものを自分の好きな仲間と自分に合ったペースでやっている感じが、とても印象的な世代ですね。

youtu.be

 

RAU DEFと言えば、僕の前回のブログでも書きましたが、ZEEBRAとのBEEFが有名です。このBEEFをせっかくなので改めて違う視点で書きたいと思います。

 

「あのBEEFは勝ち負けに重きを置いているわけではない」というのがRAU DEFの思惑ではないでしょうか?

 

なぜなら、そもそもこの年代のゆとり教育を受けた人たちは誰かと競争することを良しとせずに、全員が徒競走で一位だったり、全員が劇の主役であったり、ナンバーワンではなくてオンリーワンを刷り込まされた年代です。なので、「嫌いな誰かを批判するくらいなら好きな人と仲良くしていればいいや」という考え方を持った人たちが多く、いわゆる少人数のグループで常に活動して、それ以外とは関わりを持たないというのも特徴です。

 

だから、ヒップホップのBEEFという文化もあまり浸透しにくい上に、相手を批判するということをタブーとされてきた教育を受けたRAU DEFの年代は、BEEFだけを見ると悉く相手に玉砕されています。

 

なので、ZEEBRAvsRAU DEFの一件が、BEEFを通した壮大なプロモーションだとRAU DEFがTwitterで明かしたように、BEEFに対しての考え方も大きく変わってきています。

 

自分の目的のためには、自由な発想と常識を壊すことによって、それを実現していこうとします。プロモーションのために大ベテランを名指しで批判したり、Twitterで物事が進行していったり、新しい発想と現代のありとあらゆるツールを駆使して、自分の好きなように自分のスタイルで勝負していく、一言でまとめるとこんな感じですかね。

 

次に、KOHH

在日韓国人で東京都北区の団地育ち。

KOHHは一つの文章をそのままビートに乗せてラップしたスタイルで、体言止めも英語を多用したバイリンガルラップをするわけでもない、新しいスタイルを確立しました。

 

“貧乏なんて気にしない”という曲でも顕著に表れているのが“自分は自分”“やりたいことをやる”という他人を気にしないで自由に生きたいという、“The ゆとり”といわれそうな内容の曲が多いです。

 

youtu.be

 

だから貧乏なんて気にしない
何もないところからここまで来たのも自分次第
でも周りの人達がいなけりゃ俺もここにいない
昔からよく言ってるお金よりも愛
分からない
とりあえず俺は貧乏なんて気にしない
貧乏なんて気にしない

東京北区の王子の団地育ちのKOHH。お金は無い方がいいって言ってるわけでもないし、お金なんてどうでもいいって言ってるわけでもない、貧乏でも仲間や周りがいることに対する感謝が伝わります。

 

youtu.b

結局見た目より中身

無理してカッコつけるのださい
スグにバレる  うん。やっぱり。
他人の目なんかよりも中身を見ろ
結局見た目より中身
無理してカッコつけるのださい
FUCK SWAG
FUCK SWAG

他人の目を気にするな、というメッセージ性が強く反映されている気がします。誰かと比べるのではなく自分は自分だからこそ自分のカッコよさを極めろって言われてる気がします。誰かと比較することによって一番を目指すのではなく、誰かと比較することで自分の個性を尊重する、そんな教育を受けてきたからこそこのようなメッセージが多いのではないでしょうか?

 

最近のヒップホップシーンに多い流れとして、政治や政府に対しての巨大な組織に対しての批判も増えてきた一方で、KOHHなどの若手のラッパーは金、酒、女、車、スニーカー、などなど、自分の好きなものをラップするのが増えてきました。

 

これは、やはり勝ち負けなどの競争ではない、ナンバーワンからオンリーワンを教育として受けてきたからこそ、「自分は自分の好きなことをやろう」、「自分に合った仲間と楽しく過ごせばいいや」という楽観的な思考が増えたのではないでしょうか?

 

KOHHは攻撃的な部分もありますが、それは誰か特定の人物や具体的な例を出すわけではなく、考え方や流行などの不特定多数だけれども存在する大きな流れみたいなものに対しての発信が多いです。

 

最後に

最後の方は例のごとく力尽きてしまいましたし、本当に氷山の一角しか書いていないので、今後も少しずつここに書き足していこうと思います。

 

少しでも良いと思った方は、シェアしてください!

このブログの総アクセス数を残り4ヶ月で1000突破しなければいけないので...ご協力お願いします(泣)

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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ZEEBRAという開拓者

 

生きる伝説

 

本のヒップホップを知る上で、絶対に誰もが一度は耳にしたことがあるのが「ZEEBRA」という人物。2000年代前半までの日本のヒップホップシーンの栄枯盛衰のほとんどがZEEBRAというアーティスト1人に影響されているといっても過言ではない。僕が、日本のヒップホップを語る上で外せない人物を挙げるとしたら、枚挙にいとまがないが、ZEEBRAKREVAMummy-D、の3名。

 

それぞれ輝かしい功績は幾つもあるが、ZEEBRAは、圧倒的なカリスマ性とパイオニア精神で日本のヒップホップを90年代から牽引してきたし、何をやっても殆どZEEBRAの二番煎じというくらいに様々なものを試してみたり、今でも日本のヒップホップシーン全体を捉える時には外せないほどの影響力は残っているしKREVAも、UMB3連覇などの折り紙付きの実力を持って日本のヒップホップや日本語ラップというものの一般ウケに成功しており、一般リスナーをきちんと取り込んで誰にでも受けるような楽曲を制作する一方で、「TECHNIC」や「挑め」などの特定の誰かに向けてのDisソング(誰かを批判したり貶める曲)も出すくらいには自分の信念やプライドもあるのではないかと思えるし、Mummy-Dは、KREVAが台頭する前からメジャーシーンのアーティストとコラボすることにより、日本語ラップの認知を広めたし、何よりも大きな功績が日本のヒップホップというものは日本の音楽シーンの中でも閉鎖的であった(スチャダラパーなどは日本語ラップであり現在の日本のヒップホップシーンとは一線を画しているため)にも関わらず、数々のアーティストとコラボする上で相手の雰囲気を壊すことなくそこに溶け込んだことだと思う。

 

その中でもまずはZEEBRAを語らければいけない。

なぜなら、ZEEBRAによって日本のヒップホップは大きく変わったからだ。 

 

そもそも、ZEEBRAって誰だ?

http://blog-imgs-34.fc2.com/y/k/0/yk0612yk/ZEEBRA.jpg

 ホテルニュージャパン火災の横井英樹の孫という説明のほうがピンと来る方も多いのではないのでしょうか?実は、最終学歴は中卒なんですよね。他にも中林美和との結婚と離婚、などなどゴシップ好きにはたまらないネタ満載の人物です。

 

日本のヒップホップの中でのZEEBRAとは、

K DUB SHINEDJ OASISと共に、KING GIDDRAを結成し、デビューした95年からRhymesterBUDDHA BRANDなどのいわゆるさんピン世代と共に日本のヒップホップを活性化し牽引した後に、ソロとして各方面と積極的に関わりメディア露出も積極的に行い続けた結果、良くも悪くもZEEBRAという人物が日本のヒップホップのポピュラーでありスタンダードであると錯覚されることもしばしばあるような、日本のHIPHOPのパイオニアとして常に走り続けているアーティストです。

 

もっと細かく見ていきましょうか。

 

KING GIDDRA(キングギドラ)のZEEBRA

ZEEBRAはK DUB SHINEと共にキングギドラのMCとして、日本語でラップをするということを可能にしました。今日の日本のヒップホップもキングギドラの「空からの力」というこのアルバムが無ければ存在しなかった、あるいは、日本語でラップをしていなかったのではないでしょうか。

 

日本語で韻を踏むことについては、先日書いた記事を読んでいただければ大体がわかると思いますので、そちらを参照してください。

 

このアルバムにより、単語と単語で韻を踏む、小節の最後で韻を踏む脚韻法、が日本のヒップホップの主流となっていきました。そして、この主流から抜け出したくても抜け出せずに数々のアーティストが試行錯誤しているのが、日本のヒップホップの現状でありジレンマなんです。

 

このアルバムが日本のヒップホップシーンの中で今でも高評価を得ているのは、このアルバムが原点でありスタート地点であるからです。どんな有名な評論家もこのアルバムを聴いていない人はいないと思います。だからこそ、気づかないどこかでこのアルバムを基準とした一つの評価軸があるんです。そのぐらいインパクトのある作品なんです。

 

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のアルバムから数年後に、各々ソロの道を邁進していきました。K DUB SHINEDJ OASISは、メディア露出の少ないアンダーグラウンドで、さんピン世代から脈々と受け継がれていったコアで熱い層と共に日本のヒップホップを支えた一方で、ZEEBRAは積極的にメディア露出をし、オーバーグラウンドへヒップホップを昇華していき、キングギドラ時代からの自身のスタイルを壊すことなく日本のヒップホップの一般化に努めていきました。

 

して、2002年にキングギドラ再始動。

当時のメディアでは、大きな注目を浴びました。

同性愛者への批判や性病に関する表現が不適切であったとし、CD自主回収騒動などもありましたが、それが良くも悪くもこのグループをさらに注目させることとなりました。2002年にリリースしたアルバムでは、覚醒剤、少年犯罪、性関連、政治関連、Dragon Ashのkjを名指しで批判、などなど過激な内容の曲も多く含まれていました。

 

ングギドラというグループは、このように日本のヒップホップの中でも過激な発言が多く、さんピン世代以降の世代からの評価も大きく二つに分かれることがしばしばあります。どちらにせよ、キングギドラの存在感がそれほど大きいということですが...。

 

ソロとしてのZEEBRA

 

97年のソロデビューから、数々のアーティストとのコラボやプロデュースを精力的に行っており、今までの関わりあるアーティストを少しだけ挙げると、安室奈美恵、AI、EXILE長渕剛、という面々とも関わったことがあります。ソロとして活動し始めてからは、キングギドラZEEBRAではなく一人のラッパーとしてのZEEBRAというイメージの定着化により、本人のメディアへの積極的な露出の姿勢と相まって、日本のヒップホップの認知と承認に一役買っていきました。ヒップホップの中でも、さんピン世代からの付き合いのアーティストから若手の新人アーティストを引き抜いて自身の楽曲に関わらせたり、(ちなみに、今では有名なMay Jも駆け出しの頃にZEEBRAが目を留めて楽曲に参加しています)、本当に多方面で活躍しています。

 

そして、各アーティストと楽曲などで一緒になっても自身のHIPHOPという土台を譲ることなく、HIPHOP×R&BHIPHOP×J-POP、というようにHIPHOP×somethingを貫き通しているように思えます。さらには、日本のヒップホップシーンの中でも世代やジャンルを問わずにコラボしつつ自身のスタイルを崩すことはありません。

 

これにより、ZEEBRAという名の一つの軸が日本のヒップホップの中に確立していきました。1人のアーティストによる軸というものは一枚岩と同じようなもので、さんピン世代の栄枯盛衰にも関わっていくこととなりました。

 

ZEEBRAとBEEF(ラップでの罵り合いやケンカのこと)

 

ZEEBRAの作り上げた軸というものに、数多くのアーティストが寄り添い反発し新しい形を模索していく中で、ZEEBRA自身も自らBEEFをしに行ったりしたことで、様々なBEEF(ビーフ)が起こっていったことも特筆すべき点です。

 

Dragon AshのkjとのBEEF

 

Dragon AshZEEBRAといえば、「Greatful Days」でZEEBRAが共演し、ZEEBRAの歌い出しの「俺は東京生まれ東京育ち 悪そうな奴はだいたい友達」 というワンフレーズと共にZEEBRA日本語ラップが一躍有名になったキッカケにもなりました。

 

なぜ、BEEFが生まれたのか?

 

kjは元々はZEEBRAのファンでしたが、Greatful Daysで共演後にさらにラップで楽曲を制作し続け、ライブパフォーマンスなどがZEEBRAと酷似していきました。Dragon AshはミクスチャーバンドというDJも入れたバンドであり、当時の日本では非常に先鋭的であったために、リスナーもただのロックバンドではなくヒップホップの要素も入っていることを感じていました。そのヒップホップの要素というものは、あくまでも音楽的なヒップホップであり、文化的なヒップホップではありませんでした。(2つの違いは、こちらの記事で)

 

ヒップホップシーンから見たら、あくまでもkjのスタイルはロックバンドのMCがラップをしているだけであり、そこまでのものであると認識していました。

 

しかし、Dragon Ashがある2曲を出したのです。

それが、「I ♡ HIPHOP」と「Summer Tribe」です。

 

「I ♡ HIPHOP」は、「I LOVE ROCK'N'ROLL」をサンプリングした曲で当時のDragon Ashのポップでかっこいい若者受けするスタイルの象徴的な曲でした。

 

しかし、日本のヒップホップシーンは激怒。

そりゃあ、そうですよね。

だって、日本のヒップホップの中にいないと思っていた人がいきなりヒップホップを愛しているとか言い出して、ファンではない人も「ヒップホップはこういうものなんだ。」と思ってしまったんです。

 

「Summer Tribe」は、振る舞いや声も全てがZEEBRAと酷似していました。

 

そして、ZEEBRAをはじめとして日本のヒップホップシーンに激震が走りました。そして、kjに対してBEEFが勃発しました。

 

ZEEBRAは当時、キングギドラが再結成していたこともあり、キングギドラのアルバムの中の1曲「公開処刑」でkjを名指しで批判しました。内容的にも当時のZEEBRAが憤りを感じているのが分かります。

youtu.be

 

この曲の後に、kjはアンサーソングを返すことはありませんでしたが、真摯に受け止めると公言し、以降の楽曲ではラップではなく普通の歌唱法にスライドしていきました。

 

Dragon Ashのファンとしては、このBEEFによってkjはほんの少しの間に活動を自粛していたことと以前までのラップ要素を見ることができなくなったことに対して、キングギドラ及び日本のヒップホップシーンに対して嫌悪感を示していきました。

 

ZEEBRA及び日本のヒップホップのファンとしては、このBEEFは日本のヒップホップの境界線をハッキリさせるためには避けられない道であったと同時に、ZEEBRAによって日本のヒップホップがオーバーグラウンドへ昇華して根付いていった矢先の出来事であったために「もったいないな」という気持ちもありました。

 

この一件は、ヒップホップを聞かない人たちからは、ZEEBRAが一方的に悪いとみなされていますが、ZEEBRAサイドから見てみるとkjサイドにも非があったことは紛れもない事実であるといえます。

 

RAU DEFとのBEEF

 

2010年代を語る上で、この一件は外せません。

なぜなら、この一件によってRAU DEFらの世代が凋落していったからです。

 

この頃のRAU DEF,QN,KEN THE 390,SKY-HIなどのアーティストはコンクリートグリーン世代とは一味違った新しい風を巻き起こし、ミドルグラウンドを中心に飛ぶ鳥を落とす勢いがあり、日本のヒップホップシーンに新たな勢力が台頭してきました。

 

日本のヒップホップシーンというものは、常に以前の世代を超えようと切磋琢磨して開拓し構築していた歴史があり、それは今も続いています。例えば、証言でYOU THE ROCK★スチャダラパーを否定したように、ECDがさんピンCAMPでJ-RAPを殺したと宣言したように、般若がさんピン世代と付かず離れずを保っているように、漢とDABOがやりあったように、NORIKIYOがZEEBRAに噛みついたように、本当に様々なBEEFやそれに近いものがありました。

 

この一件も、日本のヒップホップシーンの歴史を考えるとBEEFが起きて当然なんですね。

 

BEEFやDISには2種類あります。

 

  1. 世代間でのBEEFやDIS
  2. 世代を越えたBEEFやDIS

 

 あくまでもこれは同じヒップホップシーンの中に所属する者同士という前提条件がつきますが。kjとのBEEFはジャンルを越えたBEEFです。

 

さてさて、下地を脱線気味に説明してしまいましたが、話を元に戻します。

 

「RAU DEFvsZEEBRA」という構図は、2.世代を越えたBEEFでした。

 

今まで勢力を拡大し続ける事ができたのは、新しいスタイルという事で新境地を開拓していただけだったのです。つまり、誰も開拓した事のない場所を開拓し続けたからこそ勢力図が広がっていったのです。

 

しかし、この一件は違います。

ZEEBRAという、さんピン世代の代表格の1人であり日本のヒップホップの開拓者と戦うことは、シーンの中のさんピン世代という勢力を塗り替える勢いだったことが伺えます。

 

この2人の結果は、ZEEBRAの圧勝のような形でした。

これにより、当時さんピン世代は勢いが衰えており世代交代も時間の問題かと思っていたシーンに、さんピン世代の存在感を再び示すことになりました。

 

Twitterで一連のBEEFが進んだのも特筆すべき点です。

 

ZEEBRAのMTVアワード批判

 

2008年のMTVアワード後にZEEBRAがネットに上げた一本の動画を巡って事件が起こりました。内容はMTVアワードでのZEEBRAへの対応への不満?なのか分かりませんが、YouTubeに動画を投稿しました。

 

この一件は、真意があまり伝わらずにただ一般に「ダサい」というイメージが定着してしまいました。これによりマスメディアの格好の標的となり、2000年代のB-RAPハイスクールなどの誤ったイメージ定着の二の舞になってしまいました。

 

なぜ、この一件を最後に持ってきたかというと、これにより日本のヒップホップシーンがオーバーグラウンドで勢力が衰えていくキッカケとなり、オーバーグラウンドでのヒップホップのイメージはPOPなものの一強となってしまったからです。

 

何が言いたいかというと、未だに日本のヒップホップシーンの中でのZEEBRAの影響力というものは大きいんですよね。それが良いか悪いかは別として、未だに現役のZEEBRAという開拓者は本当にすごいことです。

 

最後は力尽きて内容が薄くなりましたが、

今後も、ZEEBRAから目が離せません。

ヒップホップやラップでよく聞く「韻を踏む」ってなに?

”韻を踏む”とは?

 

大雑把に説明すると、「言葉の母音を揃えることにより言葉のみでリズムを作る。」というところでしょうか。そして、この方法を活かして、小節の最後で韻を踏みリズミカルに言葉を操るのがラップという歌唱法の特徴である。とでも言っておきましょうか。

 

説明よりも体感せよ!

 

ということで、実際にLIBROの『対話』の歌詞を引用して解説していきます。同じ母音で揃えているところを同じ色で示していきます。

 

目を閉じて見るものがしっかり
解った時ははしゃい走ったり
季節を感じて心のまま
チビッ子を受け止めるパパとママ
みたいに与え過ぎず程よく
分別弁えてる包容力
ちゃんと備えたお前は
ガシャンと割れてた心とらえた
耳ふさぎ聞こえてくる旋律
ここは二人だけの天竺
毎日が七色のえらい催し
たまには明るすぎる部屋も良し
不安なんてない昼の繁華街
たえず付きまとうのは半笑い
次の段階にむけかんだかい声で
二人が引くアンダーライン

 

どうですか?

何となく分かってきましたか?

 

①基本形

 

季節を感じて心のまま
チビッ子を受け止めるパパとママ

 

赤字の部分だけを引っ張ると、

のままとママ」となり、

ローマ字表記で比べてみると「NO.MA.MATO.MA.MA

どちらの言葉も母音が「O.A.A」で揃ってますね!

このように小節の最後を揃えるのが「韻を踏む」です。

 

何となく分かってきましたか?

では、次から少し応用編!

 

②応用編

⑴「ー(伸ばす音)」の使い方

 

みたいに与え過ぎず程よく
分別弁えてる包容力

 

ここでは、「程よく包容力」の場合、

ローマ字表記で見てしまうと、

HO.DO.YO.KUHO.U.YO.U.RYO.KU

O.O.O.UO.U.O.U.O.U」...あれ?踏んでない?

これって韻を踏んでないじゃん!

なんだよこれ!違うじゃん!

 

いやいや、ここからが日本語の妙ですよ。

Libroのラップをよーく聴いてみてください。

ほーどーよくほーよーりょく」って言ってる!

 

そうなんです!

敢えて言葉を伸ばして4字から6字にしたり、「包容力」も「ほうよう」とハッキリするよりも「ほーよー」というように伸ばすことで、韻を踏んでいるんです。

 

またまたローマ字表記で見比べましょうか

ほーどーよくほーよーりょく

HO.O.DO.O.YO.KUHO.O(U).YO.O(U).RYO.KU

O.O.O.O.O.UO.O(U).O.O(U).O.U

はい、もう完璧に踏んでいますね!6文字踏み!

えー、こんなんありかよー...、と思った方、ありなんですよ(笑)

 

さて、お次はこちら。

 

次の段階にむけかんだかい声で
二人が引くアンダーライン

 

かんだかいアンダーライン」またまた踏んでない...

KA.N.DA.KA.IA.N.DA.A.RA.I.N

ああ、「A.N.A.A.IA.N.A.A.A.I.N」

惜しい、惜しすぎる。

...だったら、発音を変えればいいんじゃん!

 

ということで、聴いてみてください。

 

かんだかーいアンダーライン

KA.N.DA.KA.A.IA.N.DA.A.RA.I.N

A.N.A.A.A.IA.N.A.A.A.I.N」

 

きちんと踏んでいる!

しかも「アンダーライン」の「ン」は敢えて弱く発音することで、きちんと韻を踏んでいるように聞こえる。これも巧みな技だ!Libroさすがっす。

 

⑵「っ」や「ん」の使い方

 

目を閉じて見るものがしっかり
解った時ははしゃい走ったり

 

GA.SHI.っ.KA.RIHA.SHI.っTA.RI」となり、

A.I.っA.I」で揃えてるのが分かりますね。 

 

 「っ」は扱いが難しく、あとで説明する「ん」と同じように、言葉の流れをそこで切ることができるので、同じと見なして韻を踏む人もいます。

 

例えば、「頑張った観覧車」で見比べてみますか。

GA.N.BA..TAKA.N.RA.N.SHA

A.N.A..AA.N.A.N.A」「っ」と「N」で揃っていないように見えますが、発音してみると、どちらも切る音なので韻を踏んでいるように錯覚するのです。これも手法として十分ありです。だって、聴いてみればみるほど韻を踏んでいるんだもん。

 

そして、最後が「ん」で終わる場合は、

かんだかーいアンダーライ(ン)」というように

KA.N.DA.KA.A.IA.N.DA.A.RA.I.N」となり、

A.N.A.A.A.IA.N.A.A.A.I.(N)」になります。

何が言いたいかっていうと、最後の「ん」は発音しなくても大丈夫!っていうことです。これにより、韻を踏むレパートリーが一段と増えます。てか、ここまでの説明でなかなか疲れてしまった。

 

何となく分かってきましたか?

ここから先は実際に自分で考えてみてください。

 

体感したら実践せよ!

 

実際にみんなで作ってみてください。

これ難しいですよ。

 

 季節を感じて心のまま
チビッ子を受け止めるパパとママ

 

ここだって、普通の文章なら「心のまま季節を感じて、チビっ子を受け止めるパパとママ」となるところを、「心のまま」を倒置することで韻を踏んでいるのですから。

 

さて、では皆さんも実際に作ってみましょうか。

 

はてなブログに投稿するのも苦労する」今の気持ちです(笑)

この普通の文章を少し膨らませて韻踏んでみましょうかね。

 

最近の習慣のはてなブログ

でも、投稿するのも一苦労

 

ブログ投稿一苦労」で韻を踏んでみました。

BU.RO.GUTO.U.KO.UHI.TO.KU.RO.U」 

こんな感じですね。

 

意外と簡単と思う人もいるかな?

 

皆さんも今度からは韻を踏んでいるかいないかで音楽を聴いてみると面白いですよ!

 

 

youtu.be

 

光と影 照らされなかった者たち

ライトを浴びなかった者たち

 

く、「なんでそんなに物事に対してキッパリと諦めることができるの?」って聞かれる。その問いに返す言葉はいつも「いつまでも過去を振り返って過去に縛られているのは時間の無駄だから。そんなことに時間を割くよりも今や未来を見つめて行動するほうが楽しいから。」だ。

 

かし、口では簡単に言うことができるが実際にこの考え方を今すぐにやってみろ、というのはあまりにも厳しい。では、どうして僕自身がこの考え方に行き着いたのかをRYUZOの「HATE MY LIFE」を絡めながら、そのキッカケを振り返っていきたい。

 

RYUZOとは、京都出身のラッパーで古都京都からも発信できる土台を作った第一人者であり、TOKONA-XやOZROSAURUSとYOUNG GUNZを結成したり、R-RATED RECORDSを立ち上げたり、京都エリアのみならず全国区で活躍しているラッパーである。

 

んなRYUZOの書いたHATE MY LIFEでは、verse1、verse2、verse3でそれぞれ三者三様の”リアルな若者像”を描いている。しかし、ここで言う”リアルな若者像”とは、”マジョリティや平均的な若者”のことではなく”マイノリティであるが一定層は必ずいる”という意味で扱っていく。

 

Verse1では、高卒で土木系の仕事に就いた若い男を描いており、自分の道の選択の後悔が垣間見える。

 

朝の6時目覚ましに起こされ
眠たい目で作業着に着替え
缶コーヒー片手トラックに揺られ
朝帰りのギャルを眺める
泥だらけで昼の休憩
お洒落なランチはこれじゃきたねぇ
コンビニの飯とタバコでOK
待ち受け画面は愛しのBaby
クソな仕事で安い日当
家賃携帯電気にネット
合切払いペラペラの給料
服やデートの金はねーよ
大学出てりゃ違ってたかな
横にいる女も変わってたかな
ワンルームで缶ビール
お前の気持ちを俺がRhyme

 

自身の周りにもこのような人が多い。大学を目指すような高校には行けず、下から数えて何番目かの高校に進学し、進路はもちろん就職。このような時代なので、土木系ではなく介護福祉系の仕事に就くものが多く、高卒で働き始めて高校時代から付き合ってた彼女とでき婚して、子供と奥さんのために毎日キツい介護や福祉施設で働いている。このような人がいる。彼らは奥さんや子供と幸せだが、やはりふとした瞬間に「もしも...」というように後悔をしてしまうらしい。それでも彼らは前を向き今日も家族のためにお金を稼いでいる。それしか選択肢が無いからだ。そんな彼らの姿を見てきた。

 

Verse2では、夜の仕事をしているシングルマザーを描いている。

 

お酒くさいママでごめんね
化粧落とし送る保育園
シングルマザーももう3年目
いいともまでは少しおねんね
起きて買い物洗濯掃除
夕食だけは作る手料理
少し遅れてお迎えに
泣きべそかいてるあたしのBaby
夜ごはんだけが家族の団欒
洗い物したら化粧の時間
あとはよろしく若いおばあちゃん
あのこが言うの ママきれいじゃん
今夜も消えるネオン街
さみしくないけどたまには誰かに甘えたい
ならハニー番号は変わってない

 

の同級生のシングルマザーも似たようなものだ。でき婚から数年も経たないうちに互いの価値観の違いから離婚という道を選び、子供も結局は一人で面倒を見ることになった。子供を保育園に送った後に自分はカラオケのバイトに行く。保育園のお迎えには間に合わないので自分の母親に任せる。若くしておばあちゃんになった母親は、とても協力的で意外と子供も文句を言わずに生活が回っている。シングルマザーというものは、やはり未だに世間からの風当たりも強く、ツラいことも沢山あったということだ。まさに、”誰かに甘えたい”という部分は心からの叫びに近いものなのではないだろうか。一人で頑張っているけれど、母親も協力してくれるけれど、それでもやっぱり甘えたい。そんな思いを今日も胸にバイトに行く。そんな同級生と歌詞が重なる。

 

ここまでは、前座だ。

たしかに彼らからも多くのことを学んだ。しかし、もっとも残酷なものが最後のverse3だ。このverse3こそが今回の言いたいことのほとんどを占めている。

 

Verse3では、夢追って上京したものの現実に破られた若者を描いている。

 

憧れ続けた華の東京
さよなら告げ泣いてた彼女
書き置き残し親には内緒
連れに大口叩いて上京
夢はDJで有名に
モデルを連れて里帰り
現実は深夜コンビニのレジ
どこにいんだよモデルのBaby
最初は毎晩通ったクラブ
雨でも外でフライヤー配る
音楽よりも人を呼ぶ数や
コネが勝る世界にクラう
ほこり被ったターンテーブル
返信がこない彼女へのメール
田舎の家族思い出し眠る
スピーカーからは俺が流れる

 

も数多くのラッパーを見てきたが、ステージに上がり集客できるラッパーなんて10%もいないと思う。ほとんどの奴らが、自分の実力や才能や複雑で薄汚い世界を直視させられ夢を諦めなければいけなくなる。そこに情けはない。なぜなら、才能で金を稼ぐ仕事であり努力が必ずしも報われる世界ではないから。頑張っていても集客できず金を稼げなければ認められない。そして、夢に破れた者達の行き着く先は2パターンある。それが①いつまでも過去の思い出に縋り現実を認めない者②新しく自分の行く道を見つめ行動する者、の2パターンだ。

 

のパターンの人間は本当に最悪だ。生産性が無い上に年齢だけが積み重なっていき、自分の人生の選択肢を自分の手で断ち切ってしまう。過去の栄光に縋り続け、今や未来を見なかった代償はとても大きい。

 

のパターンの人間は救いようがある。なぜなら、また違う道に向かって突き進むことができるからだ。夢に破れたという事実も選択肢を潰すことができて良かったといい、肯定的に捉えることにより次への原動力としている。

 

く敗者など存在しない。本当の敗者は、輝くステージにすら上がることができずに終わるからだ。現実は残酷だ。すべてを捨て、夢を追う。夢を追うことの素晴らしさを説き、夢を追う者を応援する人たちは数多くいる。しかし、夢に破れた場合のリスクをきちんと併せて伝えている人はそのうちの何割だろうか?決して大多数ではないはずだ。

 

夢のために人生をどこまで捨てることができるか?

 

覚悟がない者に夢を追う資格はない。

これだけはハッキリと自信を持って言える。

 

端だが、「その夢に命を懸ける覚悟はあるのか?」という問いに対して「ある」と答えられるかどうかが大切なことだ。僕自身も中学時代にはこの問いにハッキリと「ある」と答えられた。しかし、数年経ったある日、その答えが「ない...」になってしまった。それは、やはり覚悟が足りなかったからだ。これ以上続けて人生を棒に振った時のリスクを考えた時に、そこまでのリスクを取ってまで夢を追い続ける自信が無かった。つまり、僕自身も敗北者だ。

 

かし、僕は②の敗北者だ。自分の人生の敗北者にはなっていないと信じている。だからこそ、自分の人生が楽しくて仕方がない。その時々の環境で最高のパフォーマンスを心がけている。後悔をする暇がないくらいに人生を楽しさで埋めている。

 

を追う素晴らしさも夢に破れる厳しさも知っている僕だからこそ言える、「夢を追うことは素晴らしい」、しかし、それは「夢を叶えること」が素晴らしいのではなく、「覚悟を持って夢に向かって全力で走っている姿」が素晴らしいだけだ。覚悟無しで夢を追う者は自分の人生を棒に振る可能性がある。

 

youtu.be

語彙力=破壊力

語彙力=破壊力

本語ヒップホップにおける語彙力の必要性は言うまでもなく、今までにブログで書いたように「日本語」と「ヒップホップ」の性質を考えれば、語彙力が無ければ淘汰されてしまう。DABOやLIBROなどは語彙力のみならず自分の声質とリズム感を活かし、最大限に日本語でのラップというもののレベルを上げていった。

 

んな彼らに負けず劣らずのアーティストが今回紹介するZORNだ。

 

は元々はZORN THE DARKNESSという名で活動していたが、昭和レコードに移籍するタイミングでZORNに改名している。UMBやBBPなどのMC BATTLE出身の実力派であり、4thアルバム「サードチルドレン」より前の作品では、「震エテ眠レ」に代表されるように語彙力を全面に押し出した詩を朗読するようなポエトリーリーディングのラップをしていた。 

 

かし、昭和レコード移籍と同時に般若のアドバイスを参考にして、今までの語彙力を全面に押し出して一小節になるべく多くの語彙量を入れることをやめ、シンプルに韻を揃えるということをしたことで、「2 Da future」では過去の作品とは一線を画したシンプルで力強いメッセージ性を持った曲となった。シンプルだからこそ一語一語の単語が強調され韻を揃えた時のリズム感も心地良く聞こえる。”足し算ではなく引き算で作る”、般若のアドバイス以降の作品では、他のアーティストの客演でも作品を崩すことなく個性を殺すことなく丁度いい存在感を示している。

 

語彙力を最大限に引き出す≠語彙量を増やす

語彙力を最大限に引き出す=シンプル&スタイリッシュ

 

この「2 Da future」はZORN自身の原体験をシンプルなトラックとともに3rdアルバム以前の独自の世界観を保たせつつ、一つ上の次元へと昇華した作品となっている。

 

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シンプルかつ情景が浮かぶような回想のリリックが響く。現実と夢との葛藤を表しているリリックに共感できるリスナーも多いのではないだろうか。巷でよく言うリアルなラップというものは定義が不明瞭で曖昧だが、この曲をリアルと呼ばずして何をリアルと呼べようか。

 

耳ヲ貸スベキ! 

 

youtu.be